ケイト・ブッシュの足跡をたどる旅「嵐が丘」の舞台で踊ってみた! 1978年 4月20日 ケイト・ブッシュのデビューシングル「嵐が丘」が日本でリリースされた日

デビュー曲「嵐が丘」そのミュージックビデオに憧れて…

「尊敬する人は?」と質問されたら、ケイト・ブッシュが真っ先に頭に浮かぶ。

1985年にリリースされたアルバム『愛のかたち(Hounds Of Love)』以来のファンなのだが、私をここまでにしたのは、後から目にした彼女のデビュー曲「嵐が丘(Wuthering Heights)」のミュージックビデオである。その素晴らしい楽曲は言わずもがな、彼女のカッと見開かれた目、独特な振り付け、そして妖精のような衣装で側転をキメた姿を観たとき、新しい世界への扉が開くのを感じた。

私はケイトにものすごく憧れて、ああなりたいと切に願ったが、不可能だった。側転ができない上、歌もピアノもダメ。あの衣装で街は歩けないし(絶対オーダーメイド)、彼女のフワフワロングヘアだって、校則で禁止されていたパーマでもかけないと再現できない。仕方がないので、とりあえずビデオを観ながらできる範囲で踊ってみることにした。

90年代に入り、友人たちとカラオケボックスに行ったとき、彼女らのリクエストでなぜか「嵐が丘」を振り付きで歌うことになった。恥ずかしがりながらも必死に歌って踊ったのだが、ふと彼女らの顔を見ると、全員無表情だった。だったらリクエストすんなよ。恥ずかしいじゃないか…

イングランド北部ハワース、エミリー・ブロンテの小説「嵐が丘」の舞台

そんな苦い思い出を胸に秘め、ミレニアム直前に私は学生として渡英した。

イギリスにはどうしても行ってみたいところがあった。それはイングランド北部にある、ハワースという小さな村。そこはエミリー・ブロンテの小説『嵐が丘』の舞台であり、エミリーと姉シャーロット、妹アンの小説家姉妹が暮らしていたことで知られている。ケイトの「嵐が丘」は、その小説をモチーフにしたものだ。

小説の内容は「愛」「憎しみ」「復讐」というキーワードで表される。ケイトの曲はヒロインのキャサリンが亡霊となって愛するヒースクリフの元に現われるという場面を取り上げており、いずれの内容もまさしく「狂気」の塊である。荒涼としたムーア(荒れ地、湿原)で『嵐が丘』の世界を体感してみたい! と思い、友人と行くことにした。

電車を2回ほど乗り継ぎ、レトロな蒸気機関車に乗ってハワースに到着した。駅を出て、急勾配の坂道をヒイヒイ言いながら上ると、それはそれはかわいらしい街並みが目前に広がっていた。立派な “観光地” ではあったが、観光客の望む古き良き英国情緒がそこにはあった。宿はステキなB&B(ベッド・アンド・ブレックファスト)で、朝食もイングリッシュ・ブレックファスト。紅茶を飲みながら眺める窓の外にはのんびりと草を食む羊。まさに、ザ・英国!

ケイト・ブッシュの足跡をたどる旅、最大の目的は「嵐が丘」で踊ること

ブロンテ一家が住んでいた建物を使用した「ブロンテ博物館」にももちろん行ったのだが、私の最大の目的は、「嵐が丘で踊ること」だった。

初夏だったが肌寒く、小雨がぱらつくムーアは、写真を撮っても写りがイマイチだったが、何とも神秘的で、あの湿っぽい小説の世界を味わうには絶好だった。幸いにも人気はなく、私は友人にカメラを渡し、ケイトの真似をして踊る姿を撮らせた。とはいえ、何回かポーズを取った程度のものだ。片手には折りたたみ傘を持ち、衣装はジーンズにパーカーの、かなり不格好なケイト・ブッシュになった。だけど私は大満足だった。

なぜなら、尊敬するケイト・ブッシュの、ある意味原形となる人の足跡を尋ね、荒涼としたムーアでヘロヘロと踊りながら、小説と楽曲に共通する「狂気」とイギリスの歴史を、150年あまりの時を経て体感できたような気がしたから―― だが、そもそもそんなところで踊ること自体が狂気の沙汰である。

それにもかかわらず、快く撮影を引き受けてくれた友人には心から感謝したい。その写真は今でも手元に残っているが、ものすごくうれしそうなその表情は今見るとまるで「まりもっこり」のようだ。

こんなことやってるのは自分だけ… と思っていたら、世界各国でケイトの衣装を着て踊るというイベントが毎年行われているらしい。一見朝のラジオ体操の趣だが(失礼)、私もいつか参加して、その狂気を分かち合いたいと思う。

※2018年7月30日に掲載された記事をアップデート

カタリベ: Polco/モコヲ

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