弁天橋と空港島【駅ぶら03】京浜急行119

トップ画像は、第二次世界大戦終戦直後にGHQに接収され干拓地の羽田穴守町を追われた穴守稲荷神社門前にあった赤鳥居。GHQが穴守稲荷神社を撤去した際にこの赤鳥居が撤去できず放置したことから「穴守さまのたたり」という都市伝説が流布されました。約三千人の住民が「48時間以内に退居せよ」という悲惨な強制を受けたことが都市伝説の背後にはある様です。終戦時ですから空襲などで家財道具も多くはなかったでしょうが、自動車どころか大八車やリヤカーすら十分にあったとは思えません。48時間ではほとんど「着の身着のまま」だったことでしょう。その上に行く当てもない人々の苦痛は、想像を絶します。

天空橋で海老取川を渡ります。川上側に赤い稲荷橋が見えます。旧穴守稲荷神社に渡る橋でした。駅名にもなっていた稲荷橋でしょうか。

対岸には防潮堤と遊歩道があります。

橋を渡ると大田区羽田五丁目です。ちなみに空港島は、大田区羽田空港という住所表示になります。京急天空橋駅の案内があります。

渡り終える前に川下側を振り返ると羽田空港天空橋船着場があります。大田区が2012年(平成24年)に災害時に空港島の人々や緊急物資を運ぶ水上輸送拠点として設置しました。

対岸の川沿い遊歩道を下流、多摩川の方向に歩き始めると「駅前地蔵尊」がありました。「昭和六十三年八月十二日移転建立」という札がかかっています。1988年ですから30年以上前です。祠の右にある卒塔婆が気になりますが、字が読めません。

何故「駅前」なのか、おそらく旧羽田空港駅が海老取川のこちら側にあった1991年(平成3年)まで、この地蔵尊は駅前に鎮座していたのでしょう。旧羽田空港駅は廃止されましたが、地下化された新羽田空港駅(現・天空橋駅)が海老取川の対岸に開業しました。旧羽田空港駅のあった場所は今では駐車場に変わっています。何も痕跡は残っていません。おそらく住民有志がこの場所にお地蔵様を遷したのでしょう。

四体のお地蔵様が並んでいます。普通は赤い布をまとっていますが、毛糸で編まれたお揃いの衣装です。ガス器具の様なものがあります。不思議です。

「駅前地蔵尊」の辺りから天空橋と天空橋駅が見えました。しかし天気予報が快晴だったので、意気込んで出かけて来たのですが、空はどんより曇っています。やれやれ。

遊歩道で弁天橋(欄干には辨天橋と書かれています)のたもとまで来ました。

右に多摩川が見えます。対岸は空港島、旧穴守稲荷神社門前に立っていた赤鳥居が移設されています。自転車で訪れた高校生諸君※が記念撮影などに興じていたので赤鳥居の撮影は後回しにします。多摩川サイクリングコース左岸の終点近くなのです。※トップ画像に写っている本格的自転車スタイルの諸君です

弁天橋から多摩川を見ると五十間鼻無縁仏堂の不思議な佇まいが見えます。五十間鼻の石堤(沈床)が長く伸びています。

望遠レンズでアップにしました。五十間鼻無縁仏堂には後ほど行きます。

弁天橋を渡って住宅地側に戻ります。

まだまだ天空橋駅の【駅ぶら】は始まったばかりです。

【駅ぶら03】京浜急行120 に続きます。

(写真・記事/住田至朗)

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