『島の手仕事』 八重山の織物、人々への思い

 石垣島の中央にあるバンナ岳に登ると、西表島との間に広がる石西礁湖が一望できる。エメラルドの海に点在する八重山の島々、そこには個性豊かな織物が今も息づいていることを多くの人は知らない。

 八重山の織物が歴史に登場するのは、15世紀。はるか朝鮮から与那国島へ漂流した人々が当時の機具や織りの材料などを報告している。17世紀、薩摩の琉球侵攻に伴い、税徴収が強化され、八重山の島々からは税として布の納付が義務付けられる。いわゆる人頭税である。それから、約400年を経た今もなお、織物は連綿と受け継がれており、『島の手仕事―八重山染織紀行―』は、現在の八重山の織物と人の暮らしを丹念に追ったものである。

 戦前、戦後、さらに復帰と70年の長い波乱に満ちた年月を織物と共に歩んだ島のバーチャンたち。不便な島にあえて戻り、藍作りや織りの手仕事を選んだ若人。人の暮らしの原点を求めて都会からやってきた人々。世果報を祈る女たちと布の話など、織物をめぐるさまざまな生き方がつづられる中で、それぞれが目指すところは、一つである。祖母から、そして母へと伝えられた島の手仕事をつなげていきたいという思いに尽きる。

 島の温暖な気候に育まれた苧麻(ちょま)や芭蕉の糸、そして美しい色を生み出してくれる豊富な植物。織りの最後に、仕上げの場を提供してくれるのは青い海である。手仕事と人の暮らしは相互に絡み合い、苦しみも悲しみも、喜びへと浄化していく。

 著者の安本千夏氏は、自らも織物に携わりながら、何度も足しげく島々を巡り、本書をまとめている。著者の手仕事と織物に関わる人々への熱い思いが、紙面からも静かに伝わってくる。

 新しい織物を追い続けた八重山の人々。その先に見えてきたものは、皮肉にも、自然と一体となった染織、かつての手仕事であった。そこに迷いの答えがあると、本書は語っており、エッセイという形をとった記録集でもある。

 (與那嶺一子・県立博物館・美術館主任学芸員)

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 やすもと・ちか 1965年生まれ。東京都出身。86年、青山学院女子短期大学児童教育専攻科卒。幼稚園教諭、保育士を経て98年に西表島に移住。八重山ミンサー後継者育成事業修了後、竹富町織物事業協同組合員となる。著書に「潮を開く舟サバニ」、共著に「ミンサー全書」。

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