#あちこちのすずさん 終戦1カ月前、疎開先で受けた艦砲射撃

 恋にオシャレ、忘れられない食べ物…。アニメ映画「この世界の片隅に」(2016年製作)の 主人公・すずさんのような人たちを探して、#(ハッシュタグ)でつなげていくキャンペーン企画「#あちこちのすずさん」。あの当時を生き抜いた人たちの何げない日常を、読者から寄せられたエピソードをもとに集めてみました。

 学童疎開時に艦砲射撃の音を聞いた男性(82歳)のエピソードです。

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 わが家は戦前・戦中、横浜・保土ケ谷に居住していたが、戦火が激しくなるに従い、千葉県安房郡白浜町に縁故疎開し、父の実家の「離れ屋」を借りて暮らしていた。

 「横浜大空襲」には遭わずに済んだが、疎開先で艦砲射撃を受けた。昭和20年7月18日の真夜中のことだった。

 突然、ドオ~ン、ドオ~ン、ドオ~ンと、大音響が響いた。真夜中の砲弾の着弾音と振動。閃光は真っ白に輝き、灯火管制で夜の闇に沈んでいた室内の景色を真昼のように浮き上がらせた。

 この日は父は不在で、母親と7歳の私、4歳の弟、1歳の妹は寝ていた布団から飛び起き、輪になってお互いの身体に手を回したまま、金縛りにあったように、立ちすくんで震えていた。翌朝になって、母屋の屋根瓦に砲弾の破片が何カ所か当たったことが分かった。

 私は疎開先で就学年齢に達したため、当時、白浜国民学校1年生だった。砲撃のあった翌日は夏休み前だったので、いつもの通り、通学路だった田んぼのあぜ道を行こうとした。

 前夜の艦砲射撃で砲弾の落ちたところには、大きな穴が開いていた。何カ所か、この穴を避けて迂回しながら登校した。この田んぼと、あぜ道に空いた大きな穴と、前の晩の艦砲射撃の情景は、今でも鮮明に記憶している。

 8月15日昼すぎ、大人たちの「戦争は終わった」との声が外から聞えてきた。外に出て、道路端に掘られていた陣地にちらっと目をやり、そのまま海に目を向け、そして空を見上げた。空は真っ青に澄んでいて、きれいな青空が大きく広がっていた。

 子ども心にも美しく思えた。今もって忘れられない。

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