イスタンブールで4回目の「文明転換」 アヤソフィア 再モスク化が意味すること

トルコ・イスタンブールのアヤソフィア前の広場で、イスラム教の礼拝をする人々=7月10日(ゲッティ=共同)

 イスタンブールと言えば、誰もがアヤソフィアを思い浮かべる。複雑な歴史を背負い、博物館となった建造物だ。トルコのエルドアン大統領は7月10日、この名所をイスラム教のモスク(礼拝所)に戻すと決めた。すると、欧米を中心に失望や批判が相次いだ。一博物館のことでなぜ世界中が喧々囂々(けんけんごうごう)となるのか。この地で絶えず繰り返された「文明間のせめぎ合い」の文脈から、読み解きたい。(文明論考家、元駐バチカン大使=上野景文)

 ▽火種

 アヤソフィアは6世紀、東方正教会の大聖堂として建立された後、15世紀にはイスラム教のモスクに、さらに、20世紀には宗教色を除去した博物館に変貌する(二大宗教「共存の象徴」と見る人もいる)など、数奇の運命をたどった。その間1985年には「イスタンブール歴史地区」の一環としてユネスコの「世界文化遺産」に登録された。

 「本来あるべき姿に戻った。数十年にわたる国民の思いを実現した」

 7月24日、アヤソフィアが、モスクに戻されてから最初の金曜礼拝に参加したエルドアン氏は、こう語ったと伝えられる。周囲は人々であふれ、「アラー・アクバル(神は偉大なり)」と連呼する信者の姿も見られた。

 現地の高揚とは対照的に、欧米諸国は「政権の人気浮揚策だ」「宗教間の溝を広げる」などの批判が巻き起こった。

トルコ・アンカラで、国民に向けて演説するエルドアン大統領=7月10日(ゲッティ=共同)

 一連の反発は、エルドアン氏個人に向けられたものが多い。権威主義的な政治手法に対する根強い不信感の表れなのだろう。ただ、エルドアン氏の問題と片付けてしまうのでは、問題の核心は捉えられない。より大きな歴史的文脈で、今回の問題を捉える必要があろう。

 それでは、アヤソフィアの再モスク化とはいったい何なのか。アジアと欧州のはざまにあり、世界でも屈指の「文明の交差点」と言われるイスタンブールは、この1700年の間に文明の交代劇を4回目撃してきた。

 それは、文明と文明の「せめぎあい」の結果であり、現在、4回目の文明大転換――西欧的な世俗主義文明からイスラム文明へ(=政教分離主義から宗教国家へ)――のさなかにある。今回の不協和音はそのような大転換を反映する出来事であり、主役は文明そのものと言いたい。エルドアン氏は、こうした大きなうねりの中で「役割」を与えられた一介のアクターに過ぎないのだ。

アヤソフィア=7月24日、トルコ・イスタンブール(共同)

 ▽四つともえの衝突

 では、アヤソフィア、イスタンブールが目撃してきた文明の「せめぎ合い」とはどのようなものだったのか。4期に分けて見てみよう。

 ① ラテン文明(後の西欧伝統文明)を退け、ビザンチン文明が興隆(4~10世紀)

 ビザンチン帝国(東ローマ帝国)は476年、西ローマ帝国の崩壊を経て、「地中海世界の覇者」となった。アヤソフィアは537年、「第2のローマ」と目されたコンスタンチノープルに、東方正教の大聖堂として建立され、正教圏のシンボルとなった

 ② イスラム文明の拡張と東方正教文明(源流はビザンチン文明)の後退(11~20世紀)

 ビザンチン帝国は1453年、オスマン帝国の北進を受け陥落。イスタンブール(コンスタンチノープル)はイスラム文明の中核都市となり、アヤソフィアはイスラムのモスクに変身した(内装はイスラム式に改修され、周囲に四つの塔が増築された)。

 なお東方正教圏の「盟主」の役割は、ビザンチン皇帝からモスクワ(「第3のローマ」)のロシア皇帝に移り、「盟主」の意識はプーチン大統領に引き継がれている。

 ③ 西欧的世俗主義文明がイスラム文明を抑え込む(1920~2010年ごろ)

 第1次大戦の敗戦により、オスマン帝国は解体され、新生トルコ共和国が生まれた。国父アタチュルクは、イスラムを封じ込めることで、政治と宗教とを分離する「世俗化」を実現した。西欧的世俗主義文明を吸収したトルコは1935年、アヤソフィアを博物館に改編し、宗教(イスラム教、キリスト教)を博物館の中に「閉じ込めて」しまった。

 ④ イスラム文明による西欧的世俗主義文明への反撃(2010年ごろ~現在)

 2003年に首相に就任し、14年に大統領となったエルドアン氏はイスラム色の強い政策を推進。「オスマン帝国の再興」を夢想し、世俗主義・政教分離の国是を改め、「脱世俗主義化=再イスラム化」の路線を突き進んだ。

 今回、博物館に「閉じ込めて」いたイスラムを解き放ち、アヤソフィアをモスクに戻したことは、こうした路線の帰結であり、西欧的世俗主義文明への反撃にほかならない。

 ▽数百年に一度の巨大摩擦

 以上、イスタンブール周辺では過去1700年間、四文明――ラテン文明(西欧伝統主義文明)、西欧世俗主義文明、正教文明、イスラム文明――がひしめき合い、せめぎ合いが繰り返されてきた(※チャート参照)。数百年に1回は巨大な摩擦(文明大転換)が起きている。アヤソフィアの再モスク化は、今起きつつある4回目の文明転換を象徴するものだ。

 だとすれば、残る三文明を背負った欧米諸国が、それぞれに非難や反発の声を上げるのは自然な反応のように思える。

 まず、宗教に「冷たく」、政教分離にこだわる西欧世俗主義文明を体現する欧州連合(EU)や国連教育科学文化機関(ユネスコ)、フランスや、アメリカからは、「イスラム、正教共存の証」として両宗教は引き続き博物館に「閉じ込めておく」のが良いと解せられる見解が聞かれた。

 正教文明圏の「盟主」ロシアでは、政府、教会のそれぞれから失望、不満が表明された。かつて正教会を象徴した大伽藍(がらん)がイスラム・モスクに変貌させられたことへの不快感の表明だ。

 宗教に「冷たい」西欧世俗主義に批判的で、宗教重視の立場に立つ西欧伝統主義(その意味ではイスラム伝統派と共通点がある)の代表格であるローマ教皇は、エルドアン氏の決定後もしばらく沈黙を守った。その後、正教会に配慮して「心が痛む」と発言したが、控えめなものであった。博物館の再宗教化に内心一定の理解を示しているのかも知れない。

 ▽文明間の壁

 これら批判は、それぞれの文明の文脈では理屈の通るものであっても、異なる文脈、原理に立つエルドアン氏の耳に届いているようには見えない。むしろ四つの文明間の距離は広がっているようである。

 それに、各文明は、自分たちの「正義」にこだわり、イデオロギー過多の自己主張を続けるだけで、各文明を超える「共通の論理」は乏しくなっている。

 最も気をもむのは、イスラム文明と西欧世俗主義文明の関係だ。両文明間のすれ違いは、アヤソフィアの再モスク化問題に限られない。

 スカーフを巡る論争もある。世俗主義の牙城であるフランスでは、宗教的シンボルを公共の場に持ち込むことを封ずるべく、女子学生が公立学校でイスラム風スカーフを着用することを禁止している。これに対し、イスラム文明の国では、公共の場を含め、婦人のイスラム風スカーフ着用は当然視されている。さらに、人権、民主主義を巡るすれ違いもある。

 今回のアヤソフィアの再モスク化は、文明を隔てる「壁」は甘くないというごく当たり前の現実を改めて思い起こさせた。

 この面で日本に出来ることが一つあるのではないか。それは、「正義」の絶対化を懐疑する仏教的知恵を持ち出しつつ、「ソフトな文明間対話」を提唱することだ。「相対主義」の意義を認識する国々と共に。

【参考】

上野景文:「バチカンの聖と俗(日本大使の一四〇〇日)」(かまくら春秋社)

同上 :「現代日本文明論(神を呑み込んだカミガミの物語)」(第三企画)

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