ブーマー、門田、ローズ、山崎ら… 30代後半で活躍した“ベテラン打点王”は?

西武・中村剛也【写真:荒川祐史】

中村は30代後半を迎え、持ち前の豪快な打撃に円熟味も加わってきた

2019年のパ・リーグ打点王に輝いたのは、西武を支え続けるベテラン・中村剛也内野手だった。歴代3位の受賞数である6度の本塁打王、同6位の4度の打点王という圧巻のタイトル受賞歴を持つ中村だが、今回の打点王は本塁打と打点の2冠王に輝いた2015年以来、実に4年ぶりのタイトル獲得だった。シーズン途中に36歳を迎えながらキャリアハイの打率を記録するなど、まさに円熟のバッティングを見せていたと言えるだろう。

豊富な経験を打撃内容に還元させた昨季の中村のプレーは見事だったが、過去のパ・リーグにおいても、30代後半を迎えてから打点王のタイトルを獲得した選手たちは存在した。今回は1980年以降のパ・リーグにおいて、2019年の中村と同じ36歳以上の年齢で、打点王を獲得した名選手たちを紹介。各選手の当該年とその翌年の成績を確認し、そこから見えてくる傾向についても探っていきたい。※出塁率は現在の計算方法で算出

○チャーリー・マニエル氏(1980年・36歳)

マニエル氏は1976年にヤクルトに入団すると、1977年に打率.316、42本塁打、97打点という見事な打撃を披露。続く1978年にも打率.312、39本塁打、103打点と長距離砲として申し分のない働きを見せ、同年のヤクルトの初優勝に大きく貢献した。1979年にトレードで近鉄に移ると、顎の骨折がありながら、97試合で37本塁打というハイペースで本塁打を量産。移籍1年目でパ・リーグ本塁打王に輝くとともに、リーグMVPの栄冠も手にした。

続く1980年にもその活躍は続き、打撃3部門でキャリアハイの成績を記録。2年連続の本塁打王と自身初の打点王を獲得し、近鉄のリーグ連覇に多大な貢献を果たした。翌1981年は古巣のヤクルトに再び移籍したものの、前年までのような成績を残すことはできず。それでもNPBでの通算打率は.303と大台を超えており、それまでリーグ優勝のなかった2球団に優勝をもたらした「優勝請負人」として大いに存在感を放った。

門田氏は40歳で迎えた1988年に本塁打、打点の2冠に輝く

○水谷実雄氏(1983年・36歳)

水谷氏は広島時代の1978年に打率.348で首位打者に輝くなど、中心打者の一人として広島黄金時代を支えた好打者だ。高卒4年目に1軍に定着してから5度の打率.300超えを記録するなど、広島で主力打者として息の長い活躍を続けたが、34歳で迎えた1981年に打率.337という数字を残し、翌1982年も打率.303を記録するなど、ベテランとなってからも高い打撃技術を維持していた。

1983年にトレードで阪急に移籍すると、打率こそやや落として3年連続の打率3割超えは逃したものの、長打力と勝負強さは広島時代を上回る冴えを見せた。30本塁打および100打点を超えたのはそれぞれキャリア初であり、パ・リーグ1年目にして打点王を獲得する快挙も達成。翌年以降は頭部死球の後遺症もあって満足のいく成績を残せなかったが、大ベテランになってから新たな環境に置かれても、すぐさま適応したその活躍ぶりは見事だった。

○門田博光氏(1988年・40歳)

門田氏はプロ2年目の1971年に23歳の若さでパ・リーグの打点王を獲得すると、その後も1981年と1983年の2度にわたって本塁打王に輝くなど、南海(現ソフトバンク)の主砲として長きにわたって活躍。大ベテランの域に達してからもその打棒は健在で、40歳で迎えた1988年には見事な成績を残して本塁打と打点の2冠に輝き、自身初のリーグMVPも受賞。その活躍ぶりから、「不惑の大砲」の異名を取った。

翌1989年には球団の福岡移転に伴い、長年在籍したホークスからオリックスへトレードで移籍。ここでも前年に比べれば成績を落としたものの、OPS1.000を超える優秀な数字を記録し、主砲としての期待に応えた。続く1990年にも42歳にして31本塁打、91打点という数字を残し、大ベテランとなってからも衰えぬ打棒を見せつけた。息の長い活躍ぶりは数字にも表れており、通算567本塁打は歴代3位の大記録となっている。

○ブーマー・ウェルズ氏(1992年・38歳)

1984年に外国人としてはNPB史上初となる3冠王の快挙を達成したブーマー氏は、35歳で迎えた1989年にも打率.322、40本塁打、124打点という数字を残し、首位打者と打点王の2冠に輝く。1992年には9年間在籍した阪急、およびその後継のオリックスを離れ、ダイエー(現ソフトバンク)に移籍。打率やOPSは来日後では最低の数字ながら、随所で勝負強さを発揮し、見事に自身4度目の打点王に輝いた。

NPBでのプレーはその1992年限りで最後となったが、先述の3冠王と、同じく1984年に獲得したリーグMVPをはじめ、1度の本塁打王、2度の首位打者、4度の打点王と、NPBでの10年間において多くのタイトルを獲得したブーマー氏。通算打率.317は4000打数以上の選手では史上5位の数字であり、史上最高峰の成績を残した助っ人の一人であることは間違いないだろう。

○山崎武司氏(2007年・39歳)

中日時代の1996年にセ・リーグの本塁打王に輝いた実績を持つ山崎氏は、オリックスへの移籍を経て、2005年に発足した楽天の創設メンバーの一員に。創設2年目の2006年に監督に就任した野村克也氏の下で配球を読むことを意識したこともあり、2007年にその打棒は39歳にしてさらなる進化を遂げる。30本塁打と100打点を超えたのはともに11年ぶりであり、自身2度目の本塁打王と、自身初の打点王の2冠に輝いた。

翌2008年も数字こそやや落としたものの、主砲として十分な数字を記録。2009年には39本塁打、107打点と2007年に近い水準の素晴らしい数字を記録し、球団創設後初となるAクラス入りにも主砲として大きく貢献。在籍期間中の通算191本塁打は今なお楽天の球団記録であり、まさに球団史に残る偉大な打者だった。

○タフィー・ローズ氏(2008年・40歳)

2007年に1年のブランクを経て39歳でNPB復帰を果たしたローズ氏は、その年に打率.291、42本塁打、96打点、OPS1.006という圧巻の打棒を披露して健在ぶりを証明。続く2008年もその活躍は続き、2年連続で40本塁打の大台に到達。打点数も前年からさらに20以上伸ばして4番としての重責を果たし、40歳にして5年ぶり3度目の打点王に輝くとともに、チームの2位躍進にも大きく貢献した。

翌2008年は骨折もあって出場試合数を減らし、規定打席到達を逃したものの、打率は前年よりも向上させて.300を超え、出塁率やOPSの面でも前年を上回る数字を残していた。NPBでのプレーはこの年限りで最後となったものの、41歳という年齢を感じさせない打棒を披露していたことは間違いない。

40代を迎えてからも好成績を残した先人たちも存在

以上のように、30代後半を迎えてから打点王のタイトルを獲得した選手は、過去にも少なからず存在したことがわかる。さらに、そのうち門田氏、山崎氏、ローズ氏の3名は、タイトル獲得の翌年に40代となっていたにもかかわらず一定以上の成績を残しており、年齢を感じさせない打撃を披露していた。

さらに、今回の記事には含まれなかったが、2006年に35歳で打点王を獲得していたアレックス・カブレラ氏も、大ベテランの域に達した翌年以降も優れた打撃成績を残し続けていた。先述の山崎氏とローズ氏も合わせ、2000年代以降に生まれた高齢の打点王は、いずれもその後活躍を続けていたことがわかる。

理由としては、スポーツ医学の発達や選手起用の変化に伴い、全体的に選手寿命が伸びやすくなっている傾向が挙げられる。それに加えて、脚力や守備力が衰えても打撃面で実力を保っていればレギュラーとして試合に出場しやすい指名打者制度が導入されていることも手伝い、ベテランとなってからも活躍しやすい環境が生まれていると言えるか。

実際、中村自身も35歳を迎えた2018年のシーズン途中から大きく成績を向上させており、30代後半を迎えてから打撃の幅を広げている印象すらある。今後もこの流れを継続させることができれば、先達のように40代を迎えてからも好成績を残している可能性は十二分にあるだろう。

中村は今シーズン途中で37歳を迎えるが、その働きはチームにとっても決して欠かすことのできないものだ。今後は現役選手の中では通算トップの数字を記録している本塁打と打点をはじめとした各種スタッツの更新はもちろん、自身初の打率.300超えや、自身11度目となる打撃タイトルの獲得にも、大いに期待していきたいところだ。(「パ・リーグ インサイト」望月遼太)

(記事提供:パ・リーグ インサイト)

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