【中原中也 詩の栞】 No.17「少年時 詩集『山羊の歌』より」

黝い石に夏の日が照りつけ、
庭の地面が、朱色に睡つてゐた。

地平の果に蒸気が立つて、
世の亡ぶ、兆のやうだつた。

麦田には風が低く打ち、
おぼろで、灰色だつた。

翔びゆく雲の落とす影のやうに、
田の面を過ぎる、昔の巨人の姿 −

夏の日の午過ぎ時刻 誰彼の午睡するとき、
私は野原を走つて行つた……

私は希望を唇に噛みつぶして
私はギロギロする目で諦めてゐた……
噫、生きてゐた、私は生きてゐた!

【ひとことコラム】収穫を終えた麦田を過ぎる〈雲の落とす影〉が、少年の目には〈昔の巨人の姿〉に見えています。そうした感覚の方を真実として表現しているのが第四連です。昼寝の習慣に従わずに独り野を走る少年時代の自分は、世俗の中で芸術に生きる後年の詩人の理想像でもありました。 

中原中也記念館館長 中原 豊

© 株式会社サンデー山口