湾岸戦争後、海上自衛隊がペルシャ湾に派遣された機雷掃海の実施から、ことしで25年を迎える。海外任務の先駆をなした掃海部隊の歩みは、戦後の発足から変容する海自の道程とも重なる。安全保障関連法をめぐる昨年の国会審議で論点となった中東ホルムズ海峡での掃海の是非は、最近はあまり話題に上らなくなったが、政治論争を横目に現役隊員は寡黙に任務に就いている。◆悩み 「あの時ペルシャ湾に行っていなければ、法案の議論は初歩的なもので終わっていたかもしれない」 安全保障関連法をめぐる昨年の国会審議を、自衛艦隊司令部幕僚長や海上幕僚副長などを歴任した荒川堯一・元横須賀地方総監は、こう振り返る。
ペルシャ湾での掃海任務の発令は1991年4月。荒川氏は当時、海自制服組トップの佐久間一海上幕僚長(故人)を、先任副官として補佐していた。
「隊員が死んだら家族が路頭に迷う」。荒川氏の問いに、佐久間氏は答えた。
「海上自衛隊は海自隊員のためにあるのではない。国家のためにあるのだから出そう」 当時は既に停戦合意が発効。派遣も憲法の禁じる武力行使に当たらないと位置付けられていた。だが、荒川氏は「隊員が殉職した場合も国家が『戦死』と認めない。結果的に補償面は国際水準に高めたが、そういう状況で隊員を出すのがトップの悩みだった」。◆原点 派遣された掃海艇部隊には軍事色を薄めるため、護衛艦は随伴していない。当時指揮官として派遣部隊を率いた落合氏は「現地の混乱は続いていたから、他国の海軍からあきれられた」。3カ月間の任務で負傷者はゼロだったが、家族に宛てた遺書を上官に預けていた隊員もいた。
昨年の安保国会では集団的自衛権の行使例として、ペルシャ湾の出入り口に当たるホルムズ海峡での自衛隊による掃海が論点となった。安倍晋三首相は最終的に「現在の国際情勢に照らせば、現実問題として発生することを具体的に想定しているものではない」と答弁した。
機雷掃海は、海自そのものの歴史の原点でもある。戦時中に日本近海を埋めた機雷の除去を、旧海軍関係者が終戦直後に担った。50年開戦の朝鮮戦争では、米国の要請で特別掃海隊が派遣され、死傷者を出しながら朝鮮半島周辺で機雷を処分している。◆自負 不透明感の強まる最近の朝鮮半島情勢を念頭に、米軍関係者からは海自の掃海能力に期待する声も聞かれる。ただ韓国海軍幹部OBは「米軍のパートナーとして自衛隊を含めた多国籍部隊の掃海は公海上ではありうるが、韓国海軍にもそうした責務や装備がある」として、他国領海内での海自の活動が政治問題を招く可能性を指摘する。
こうした論争に、現役の隊員たちは自然体だ。
「戦後から切れ目なくやってきて、国際社会に出ていくことにもなった。実績と教訓を生かし、技術も向上している」。横須賀地方隊所属の第41掃海隊で司令を務める権田幸弘3佐が、自負をのぞかせる。
組織の成り立ちと実務に影響を及ぼしてきた掃海部隊の活動は、安保法制改定で拡大する可能性もある。権田3佐は慎重に言葉を選んだ。
「それは国が決めること。われわれはオーダーがあればそこに行って、機雷を除去する実力を持っている。怖さ? そのあたりはノーコメントですね」【海自掃海部隊の沿革】1945年 戦後処理で航路啓開業務開始 48 海上保安庁創設 50 朝鮮戦争で日本特別掃海隊派遣 52 海上警備隊発足 54 防衛庁、海上自衛隊発足 85 航路啓開業務終了 91 湾岸戦争停戦後、ペルシャ湾派遣 99 トルコ北西部地震で海上輸送業務派遣2001 アフガン難民救援活動でカラチ派遣 11 東日本大震災で災害派遣