#あちこちのすずさん 戦争は終わった、強く生きよう 光子ちゃんとの約束

 恋にオシャレ、忘れられない食べ物…。アニメ映画「この世界の片隅に」(2016年製作)の 主人公・すずさんのような人たちを探して、#(ハッシュタグ)でつなげていくキャンペーン企画「#あちこちのすずさん」。あの当時を生き抜いた人たちの何げない日常を、読者から寄せられたエピソードをもとに集めてみました。

 終戦時の引き揚げ船の体験を寄せてくれた女性(85)のエピソードです。船上で出会った8歳の女の子との思い出です。

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 昭和22年の夏。満州からの引き揚げ船の甲板の上にいた私は、かわいらしい女の子と会った。

 「8歳なの、光子というの」。両親はいないという。

 こんな幼い子がたった一人で、と思って「仲良くしましょうね」と言った。

 互いに慣れた頃、光子ちゃんは静かに話し出した。「戦争が終わって、皆、ほっとしていた頃だった。家は開拓団だったの」

 …皆が広場に集っていたら、ソ連兵がやって来た。人を戦車でつぶし、拳銃を撃ちまくる。地獄のようだった。

 ソ連兵が去って静かになると、しばらくして15歳の少年が現れて、「生きている人、いますか。生きていたらここに出てきてください」と大きな声を上げ、広場を走り回った。

 小さい子たちが出てきた。4歳の男の子、5歳の男の子、そして光子ちゃん。倒れたお母さんの背で動いている赤ちゃんがいた。

 少年は赤ちゃんを背負い、「ここから離れよう。手をつないで歌いながら歩こうね」と促し、ゆっくり歩き出した。

 田舎道を休んでは歩き、農家を見つけた。少年は床に頭を付けて、赤ちゃんのことを頼んだ。「もし子どもが欲しい人、かわいがってくれる人がいたら渡してください。この子はお乳も飲んでいないのです」

 農家の人たちは納屋に、新しいわらを細かく切って寝るところを作ってくれた。まるで雲の中にいるようで、ふわふわだったという。目を覚ますと、皆でそろって土下座した。「このご恩は決して忘れません」。4歳の子も、皆と同じように頭を下げた。

 …それから日本人の住む町へとたどり着き、今、この船にいるのだという。

 「ソ連兵がお父さんお母さんに近づいた時、すぐにお母さんのところへ行こうと思ったが、足が動かなかった」。それまでは大人のように話していた光子ちゃんが、初めて子どもらしく泣いた。

 私はどうしていいか分からず、手を握った。

 「戦争はもう終わったんだから、そして日本に着いたんだから、強く生きようね」。博多港は夕焼けで真っ赤だった。光子ちゃんも真っ赤だった。

 私は光子ちゃんを忘れない。おかっぱ頭でかわいい、くるくるの目。私が12歳、光子ちゃんが8歳の夏のこと。

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