『核兵器なき世界へ』 久田京子さん えぷろん平和特集2020 #あちこちのすずさん

 原爆が落ちた時は爆心地から3.2キロの女の都(長崎市)に住んでいて生後6カ月でした。縁側で沐浴(もくよく)中に被爆し、たらいもろとも吹き飛ばされました。
 当時、家は農家で母が育てた花を売り生計を立てていました。その日は浦上にある店にヒオウギの花を届けることになっていて「おっとさん。早く持っていかんば花は売れんばい」と母は父をせかしていましたが、父は遅く家を出たため近所で被爆し、浦上で亡くならずにすんだようです。
 被爆しやけどした人たちが川平や女の都の防空壕(ごう)に来ると、母は薬の代わりにビワの実を腐らせたものを肌に塗ってあげたそうです。私を含め兄弟6人全員被爆、次男にあたる兄は脳腫瘍の手術中に血が止まらなくなり26歳の若さで亡くなりました。
 私は毎年、被爆者健康診断を受けていますが、来る人は少なくなりました。大村に嫁いでからは体調を崩し、子宮筋腫などを患い手術続きでした。今も変形性脊椎症などの治療中。浦上の地は75年前まで人々の平和な暮らしがあったことを思い、若い人は未来を考えてほしいと感じます。平和な世の中にするには人のつながりをつくる努力が必要だと思います。
(大村市・農業・75歳)

© 株式会社長崎新聞社