弱き者容赦なく切り捨てる戦争 戦中・戦後の生活者の記録

By 江刺昭子

日本橋の被災地で食糧増産のためカボチャの種まきをする動員学徒。右後方のビルは高島屋日本橋店=1945年5月6日

 戦争体験をどう継承していくかが問題になっている。戦後75年がたち、戦争を体験した人々が社会から退場していくからだ。では、体験の継承は難しいのかというと、そうではないと思う。膨大な数の証言が蓄積され、一部はデジタル化もされており、その気になれば、体験者からのメッセージをいつでも受け取ることができる。

 1931年の満州事変に始まった15年戦争について、その経過や領土の帰趨、為政者や権力者のふるまい、被災面積や死者数、賠償額については、正史とされる歴史書や教科書に書いてある。しかし、戦時下の庶民がどんな暮らしをしていたのか、長い間、わからなかった。暮らしを軽んずる風潮が強かったからだ。

 その実相が少しずつ明らかになるのは、連合国による占領が終わった1950年代後半から。黙って耐えることにならされてきた女性たちが、重い口を開き始める。

 注目されたのは、1959年に出版された鶴見和子・牧瀬菊枝編『ひき裂かれて 母の戦争体験』。「生活記録運動」の流れのなかで、職業的な書き手ではない女性たちが、戦争中の窮乏生活や学徒動員や疎開の辛さを吐き出した。戦争体験という言葉もまだ耳慣れない時代、グループで意見交換しながらまとめた「声なき声」の記録である。巻末に鶴見が、個人的記録から庶民の戦争史にたどりつくための第一歩だとしており、この頃から母親運動や原水禁運動などの取り組みのなかでも、さまざまな体験が語られていく。

鶴見和子さん=97年3月

 70年には「東京空襲を記録する会」が結成され、全国各地でも同じような動きが始まる。翌年、「空襲・戦災を記録する全国連絡会議」が発足。自治体も応援した戦災誌が次つぎ刊行された。降り注ぐ焼夷弾の雨をくぐって生き延びた人、火事が迫り家屋の下敷きになった家族を助けられないまま逃げた記憶など、戦災史には庶民の苦しみ、悲しみがいっぱい詰まっている。

 女性史の分野では、80年代から地域女性史の編纂が盛んになった。自治体が編んだものから、民間の小さなグループによる自費出版まで、出版の形は多様だが、通史や年表とともに聞き書き集が付いている点は共通している。

 わたしも各地の地域女性史編纂に関与し、多くの高齢女性から聞き取りをした。明治から昭和ひとけた世代のライフヒストリーには、例外なく戦争体験があり、そのすさまじさに息をのんだ。

 父や夫を戦場に奪われてどんなに心細かったか。国防婦人会で出征兵士を送ったときの高揚感。神国日本が負けるはずがないと信じこまされていた教育の怖さ。一つとして同じ話はなかった。これらは単行本や冊子として各地の図書館や女性センターに所蔵されている。

 唯一の国立女性センターである国立女性教育会館(NWEC)の女性教育情報センターには、80年代以降の女性関連図書が収蔵されており、文献情報データベースで「戦争体験」を検索すると、図書だけで685件がヒットする。この検索語ではカウントされない原爆関係の証言集なども合わせると、膨大な手記や体験記が集積されている。

 ただ、これらの個人的な経験の記録が、社会の経験として共有されているかというと、そうはなっていない。もどかしい思いがある。さらなる伝える工夫が必要だ。

 ここで1冊、手に入りやすい体験記として、2年前に出版された『戦中・戦後の暮しの記録』を紹介する。暮しの手帖社の募集に応じて寄せられた体験記2390編から約100編を選んでいる。副題に「君と、これから生まれてくる君へ」とあるように、戦争を知らない若い世代にも理解できるよう、目配りのきいた編集になっている。

 手記だけでなく、当時の写真、日記、家計簿、戦場からの絵手紙と、表現形式はさまざま。体験者本人が書いたものだけでなく、子や孫の聞き書きもあれば、父の手記を娘が抜粋して投稿したものもある。ということは、当事者がいなくなっても継承の手だてはあるということだ。

 空襲の記録は各地から寄せられている。国民学校の教師だった女性の絵日記には、夫が徴兵されたのち、子どもを抱えての日々がこまやかに綴られていて、戦時下の日常と敗戦、その後の日々がよくわかる。

 駐在所の前で鉱山から逃げた「シナ人」が警棒で殴られているのを見てかわいそうだと言って叱られた人、捕虜を警棒で殴らされて辛かったという人もいる。

 捕虜だったイギリス人男性本人の手記もある。トンネル工事を監督する日本人班長が「陽気で優しかった」と回想されていてホッとする。

 日本軍の戦死者の大半は餓死や病死とされているが、内地で暮らしていた人びとにとっても、本当の敵は飢餓だった。戦中も戦後も食べ物が極端に乏しく、いったん胃袋に納まったものを反芻する能力が身についたという人がいる。その手記のタイトルは、「もう牛に戻りたくない」。

 満州からの生還者の思い出はどれもむごい。台湾、朝鮮、樺太からの引き揚げも採録されている。

 44年、硫黄島が日本軍に接収される。当時14歳だった女性は家族とともに島を追われた。戦争が終わって島に帰れると思ったが、戦後は占領軍に接収され、その後は自衛隊基地ができてしまう。今も島に帰れない。だから「終戦はまだきてないの」と孫に語る。

 戦時中の新聞を開くと、かくかくたる戦果が報じられているが、その裏で庶民の暮らしがどれほど困窮していたか、物質的にも精神的にも追い詰められていたか、なにより戦争によってどれほどふつうの暮らしを奪われ、運命が変転したか。この記録を読むと実感できる。

 個人の権利や命の価値が軽んじられ、弱き者、子ども、女、高齢者、障害者が容赦なく切り捨てられた。それが戦争なのだと、改めてかみしめる。 (女性史研究者・江刺昭子)

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