横浜スタジアムは打者有利、ホームなのに… DeNA“恵まれない”ノーヒットノーラン

DeNAのネフタリ・ソト(左)とタイラー・オースティン【写真:荒川祐史】

2000年以降ではバンチ(中日)、前田(広島)、山井(中日)とビジターチームに記録達成を許す

■ヤクルト 9-0 DeNA(15日・横浜)

DeNAは15日、横浜スタジアムで行われたヤクルト戦に0-9で敗れた。ヤクルト先発の小川泰広に対して、打者32人で出した走者は3つの四球と相手失策ひとつを合わせた4人のみ。無安打無得点の完敗だった。ラミレス監督は「今日のこの結果に対しては何もする事ができないので、明日の準備をするだけ」と気持ちを切り替えたが、横浜スタジアム、相手はヤクルト、のノーヒットノーランは、ベイスターズファンにとっては思い出したくない過去がある。

チームが38年ぶりのリーグ優勝、日本一を達成した年の前年、1997年の9月2日に、横浜はヤクルトの石井一久にノーヒットノーランを喫した。大矢明彦監督、権藤博チーフ投手コーチの体制で迎えたこの年、4月は最下位と出遅れたが、石井琢朗、波留敏夫、ローズ、駒田徳広らが並ぶ“マシンガン打線”に“大魔神”と呼ばれた絶対的守護神の佐々木主浩を中心に、1960年以来となるリーグ優勝に向け、9月には首位ヤクルトに3.5ゲーム差まで迫っていた。当時のヤクルトは“ID野球”と呼ばれた野村克也監督の全盛時とも言える時代で、黄金時代を築いていたチームだ。

8月に21勝6敗と驚異的なペースで急浮上した横浜が3.5ゲーム差で首位ヤクルトを地元に迎えた3連戦の初戦で、のちにメジャー移籍を果たした左腕の前に、セ・リーグの各球団を震え上がらせたマシンガン打線が無安打無得点に抑えられた。この敗戦から3連戦3連敗を喫した横浜は、2位はキープしたものの、クライマックスシリーズ導入前の当時はポストシーズンに進むことなくシーズンを終えた。

本塁打が出やすく、打者有利と言われる球場でホームチームが…

今季のDeNAもロペス、ソト、オースティンの強力外国人トリオに首位打者経験のある宮崎敏郎、トップバッターとして復活した梶谷隆幸らを中心としたリーグ屈指の強力な布陣で“令和のマシンガン打線”と呼ばれている。22年ぶりのリーグ優勝を目指す今季、その打線が故障者で主軸数名を欠いているとは言え、同じヤクルトのエース格の投手にノーヒットノーランを喫した。

歴史は繰り返す、とは言いたくないが、幸いにも97年がシーズン終盤の天王山での試合だったのに対して、今季は新型コロナウイルスによる異例の短期間のペナントレースとは言え、まだシーズンの半分も消化していない49試合目での屈辱だった。2位に終わった97年の翌年は、チーム38年ぶりの悲願を達成した。特別措置で当時と同じクライマックスシリーズのない、ペナントレースのみが勝負の今季、残り71試合で屈辱をバネに、ラミレスDeNAは98年以来となる栄冠をつかみとる事ができるか。

ちなみに97年の石井一久以降、横浜スタジアムでのノーヒットノーランは、2000年のバンチ(中日)、2012年の前田健太(広島)、2013年の山井大介(中日)といずれもビジターのチームに記録達成を許している。今回の小川で2000年以降では4度目となり、同時期に3度で並んでいた東京ドームを抜いて、最も多くノーヒットノーランが達成された球場となった。本塁打が出やすく、打者有利と言われる球場で、しかもホームチームの方に不名誉な記録が残るのは、皮肉といえば皮肉な話と言える。(大久保泰伸 / Yasunobu Okubo)

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