敵機に「戦争をやめろ」と叫ぶ荒唐無稽 絵本『かわいそうなぞう』の深層意識 「猛獣処分」考(3)

By 佐々木央

京都市動物園のアジアゾウ(2017年、筆者撮影)

 東京・上野動物園に飼育動物の殺害命令が出されたのは、1943年8月16日だった。翌日から9月にかけて14種27頭が殺されている。この中に絵本『かわいそうなぞう』のモチーフとなった3頭のゾウも含まれている。

 殺害動物たちの慰霊法要が動物園で催されたのは9月4日だったが、リストアップされた殺害対象のゾウ3頭のうち、ワンリーとトンキーはまだ生きていた。(本稿は4回続き、47NEWS編集部・共同通信=佐々木央)

 ■殺害の張本人が喪主とは

 慰霊法要の案内状は、都長官(今の都知事)大達茂雄の名で出された。動物の殺害は軍部ではなく、都長官の命令で実行された。つまり殺害の張本人ともいうべき人が「喪主」となった。真相を知れば、なんのブラックユーモアかと思う。

 参列者は長官本人や都関係者のほか、忍岡(しのぶがおか)国民学校や東洋家政女学校、都立竹台高女の生徒ら約五百人に及んだ。斎場正面には「時局捨身動物」と記された卒塔婆が立てられた。

 動物たちは死にたくなんかなかった。人間の都合で殺されたのだ。それなのに「捨身」はないと思う。都合の良い擬人化であり、命の政治利用だが、誰もそんなことに文句を言わなかった。非道な大量殺害は、命令者のもくろみ通り、人々に大きなショックを与えた。動物園に多くの便りが寄せられたという。

 「来る世は 人に生まれよ 秋の風」という俳句を短冊にしたためたものがあった。この後、日本に住む人たちに、苛酷な運命が待ち受けていることを、詠み手は知らない。

 子どもからは「これらの動物達を殺させた米、英を討たねばなりません。軍人を志望している僕です。戦場でこの殉国動物の仇討ちをしてやりたいと思います」という便りもあった。

 1943年10月5日付の朝日新聞夕刊は、国民学校1年キツタシゲル君の思いを紹介している。

 ―どうぶつえんのけだものがしんでかわいそう、ぼくはぞうが一ばんすきだった(略)けれども、もう、もうじゅうはいないんだ、さびしくってたまらない、ぼくが大きくなったらね、アメリカ、イギリスをぶっつぶす、ライオンたちのかたきを、きっととってあげましょう― (現新仮名遣いに改めた)

 動物殺害の最大の目的は、動物たちが市中に逃れて混乱することを予防することではなかった。戦況の厳しさを臣民に伝え、やがて来る窮境への覚悟を決めさせること、そして戦う意志を最大化することだった。子どもたちの便りや新聞を読む限り、その狙いは十分に達せられたようだ。

 ■大空襲を受けても勝利信じる

 慰霊法要から1週間後の9月11日、ワンリーが死ぬ。トンキーの死はさらに2週間を経た23日だった。その死の場面を絵本『かわいそうなぞう』はどう描いたか。

 ―どうぶつえんの ひとたちは、ぞうのおりにかけあつまって、みんなどっとおりのなかへ ころがりこみました。ぞうの からだに とりすがりました。ぞうのからだをゆさぶりました。みんな、おいおいと こえをあげて なきだしました。その あたまのうえを、またも ばくだんを つんだ てきの ひこうきが、ごうごうと とうきょうのそらに せめよせてきました。どの ひとも、ぞうに だきついたまま、こぶしをふりあげて さけびました。「せんそうをやめろ。」「せんそうをやめてくれ。やめてくれえ。」―

 1943年の夏、東京に敵機の影はなかった。本格的な本土空襲が始まるのは1年以上先の翌年11月である。動物園の人たちが自ら殺したゾウにすがりつき、敵機に向かって「戦争をやめろ」と叫ぶ場面は、文字通りの絵空事というしかない。

 しかも、普通の人々の多くは日本の戦勝を信じていた。動物園人も例外ではなかった。例えば、戦前戦後に上野のゾウ係だった渋谷信吉は著書「象の涙」でこう述懐する。

 ―1945年3月10日の東京大空襲でいよいよ本土決戦は実感として伝わった。空襲におびえながらも、国民はまだ勝利を信じていた―

 現実を直視すれば、勝利へのシナリオは存在しない。日本軍がニューヨークを空爆することなど、夢想にも値しなかった。だが、死者10万人ともいわれる東京大空襲を経験してもなお、人々は戦争に勝つと信じこまされていた。そんな人たちが「戦争をやめろ」と言うはずがない。

 絵本のクライマックスは二重の意味で、あり得ない光景を描いている。

 ■米国がゾウを殺させた

 絵本『かわいそうなぞう』で、動物園の人たちが「戦争をやめろ」と叫ぶに至るまでを、4つの過程に単純化してみる。

 ①太平洋戦争開戦 ②本土空襲の激化 ③逃げ出したら大変だから動物を殺害 ④ゾウを殺させた敵機に戦争中止要求

 ②の空襲激化が事実に反し、したがって飛んでもいない敵機に「戦争をやめろ」という④は、荒唐無稽であることは既に述べた。では敵機が次々に来襲する状況なら、④もあり得たのか。

 その場合でも、敵機への戦争中止要求は、あまりにも不合理な行動だと評価されるだろう。開戦も戦争継続も、ひいては動物殺害も、自分たちが決めたことだ。戦争を仕掛けておいて、相手に「戦争をやめろ」と叫ぶのは支離滅裂だ。それを要求するなら、まず自国の為政者に言わなければならない。

 だが、絵本は①の開戦について「そのころ、にっぽんは、アメリカと せんそうを していました」と書くだけだ。どちらが開戦したのかさえ記述しない。当然ながら、開戦の責任者も不問に付す。動物の殺害を命じた人に無関心だったのと同じように。

 そして④で敵機(米国)に「戦争をやめろ」と叫ぶ。その裏側に隠れているのは、空を覆う敵機がゾウを殺させたという認識だ。

 それは動物殺害を命じた初代都長官・大達茂雄が民心にすり込もうとした認識に重なる。敵の空襲(の恐れ)によって、心ならずも動物たちを殺すことになった。違うのは結論だけだ。だから「敵を討つ」と決意するのか(戦争当時)、だから敵に「戦争をやめろ」というのか(絵本)。

 『かわいそうなぞう』の深層には、戦時下と変わらぬ戦争認識がある。

 ■殺害の責任は免れない

 戦時下の日本において、ほとんどの市民は反戦を唱えることができなかった。敗戦を確実視する人や、厭戦・非戦の思いを持っていた人もいたが、公然と口にすることはできなかった。天皇の名において行われている戦争に反対すれば、摘発されたのだ。その警察力の頂点が内務省だった。

 だから、スーパー内務官僚たる大達に、動物園の人たちが体を張って反対することは、難しかったと思う。その時代、そこにいたとして、わたしなら動物を守ることができたなどと、胸を張ることは到底できない。

 だが、戦争責任はそれぞれの時点で、それぞれのレベルで、多様な形で存在する。戦時の動物殺害についていえば、命じた都長官・大達の責任は疑いなく重いが、その命令に「ただうなだれるよりほかはありませんでした」(古賀忠道「動物とわたし」)と追従する園長も、苦しみながら殺害を実行した人たちも、殺した動物たちとの関係では、決して免責されない。

 絵本『かわいそうなぞう』に感動するなら、動物殺害の真実とその背景を、もっと深く知らなければならない。そして、圧倒的な天皇制国家のくびきのもとで、一人残らず戦争体制に動員される中、自分なら何ができたのか、譲れないことは何なのかを考えたい。

 この国がまだ辛うじて、平和国家の側にいる今こそ。=この項続く

『かわいそうなぞう』の真実 「猛獣処分」考(1)

ゾウ殺害を命じた初代都長官とは 「猛獣処分」考(2)

暴れん坊のゾウは殺されて当然か 「猛獣処分」考(4)

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