タモさんにも歩いて欲しい!坂道スナッパー・いちがみトモロヲさんが推す、金沢の坂道3本

「坂道や階段への興味は、私の幼い頃の諸々の不安とともに根づいていったのかもしれない」とは、坂好きで知られるタモリさんの言葉。

城下町金沢に暮らす人々にとって「坂道」は切っても切れない縁。通学路の途中にある坂で派手に転んだり、野良犬に追いかけられたり。幼少期に経験した坂の思い出のひとつやふたつはあるはずです。

地元を離れて感じた「坂不足」

そんな金沢の坂道をこよなく愛するひとりの男がいます。

いちがみトモロヲさん。普段は自身が経営する「15VISION」でWeb制作やアプリの設計に携わりながら、坂道スナッパーとしても活動。金沢の坂道を地図と写真を使って紹介するウェブサイトを運営しています。

坂道マニアとして多数のメディア出演歴を誇る、いちがみトモロヲさん。
いちがみさんが運営する「金沢の坂道」。現在38の坂道が紹介されている。
ガジェット系Youtuberとしても活動。おもにカメラやPC機器などを紹介している。

いちがみさんが坂好きになったのは14年前。結婚をきっかけに、生まれ育った材木町(旧市街地)から郊外に移り住んだことで「坂不足」を感じたのが理由だそう。

それからほどなくして一眼レフカメラを購入。仕事終わりや休日に坂の写真を撮り、それをウェブサイトで情報発信するというルーティンが生まれました。

愛用するカメラのひとつ。坂道を歩くときには必ずカメラを持っていくそう。

いちがみさんが坂の魅力にどっぷりハマるきっかけとなった一冊の本があります。

「サカロジー 金沢の坂」

作者は金沢市内の小中学校で数学教師を務めた国本昭二さん(故人)。坂の斜度と人間の感情の関わりが語られたこの本は、多くの坂好きの心を掴んだといいます。

「国本さんが連載していた坂のエッセイが父の書棚にあったんです。初めて読んだのは大学生のときかな?そのときから坂への興味が芽生えていたのかもしれません」といちがみさん。実際にこの本から多くのことを学んだそうです。

ちなみにお父さんは元新聞記者。「金沢の坂道」でも壺中人というペンネームでコラムを執筆しています。坂の紹介だけでなくその背景にある人間模様までも描写した内容はさすがのひとこと。気になる人はぜひチェックしてみてください。

坂愛あふれるエッセイ集。坂の由来だけにとどまらず、その景色が生むであろうドラマまで描かれている。

せっかくなので、いちがみさんに「金沢の坂の特徴」や「楽しい歩き方」を聞いてみました。

金沢の坂は名前も見た目も美しい

ーー金沢ってなんでこんなに坂が多いんですか?

いちがみさん:金沢は卯辰山丘陵地、小立野台地、寺町台地という3つの台地と、犀川、浅野川の2つの河川で構成された、複雑で高低差のある地形。そうした地の利を活かして金沢城が建てられ、そこから町が発展したのが理由だといわれています。

ーーどれくらいの数の坂があるんですか?

いちがみさん:金沢市が設置した坂道標柱の数は25。僕のサイトでは38の坂を紹介しています。でも、一説によると100本以上あるともいわれていて。金沢という町の奥深さを感じますね。

坂の傾斜や湾曲の美しさを熱心に解説するいちがみさん。全国の坂マニアが集う、坂学会の会員でもある。

ーー他の地域とは違う、金沢ならではの坂の特徴とは?

いちがみさん:景観の良さですね。城下町の風情を残す金沢らしく、見た目も整えられた坂が多いです。たとえば他の地域では簡易的な坂標が多いけど、金沢はちゃんと石標が建てられている。僕自身、カメラありきの坂歩きなので景観は大事ですね。

ーー季節によって変わったりもしますよね。

いちがみさん:そうそう。秋は落ち葉で道が埋れていたり、冬は雪景色だったり。色んな景観が楽しめるのも坂歩きの楽しさですね。それと、始まりと終わりで景色がガラッと変わる場所が多いのも金沢の坂の特徴。暗がり坂とか小立野地区の坂とか、ぜひ歩いてみてください。

特注で制作したという金沢市街地の地形模型。いかに起伏に富んだ町であるかが分かる。

当時の人たちの気持ちになって歩くべし

ーー坂道の定義ってなんでしょう?

いちがみさん:名前があるかないかだと思います。そこに坂がなければただの崖。長い歴史の中で人々が往来を重ねることで道ができ、名前が付けられた。それこそが坂道だと考えています。

ーー意外と面白い名前が多いですよね。蛤坂とか嫁坂とか。

いちがみさん:江戸時代は町名が存在せず、人々の生活の便宜上で坂道に名前がつけられました。なのでひとひとつの呼び名に、当時の時代背景が色濃く反映されているんです。

ーーへぇ〜!今まで名前の由来とか気にしてなかったかも。

いちがみさん:坂標に書かれた由来を知って、名前がつけられた当時の歴史背景や文化に想いを馳せながらカメラを持って坂道を歩く。そこまでをセットに坂歩きを楽しんでますね。

坂標に刻み込まれた通説を読めば、その坂の由来や背景が分かるはず。
嫁坂の名前の由来を思い描いた自作の絵。素敵すぎる(作画・いちがみさん)

ーー最後にいちがみさんの坂道の美学を教えてください!

いちがみさん:坂はよく「登り坂、下り坂」という表現で人生に例えられるように、人間のエネルギーを象徴するものだと思っていて。急な坂道では引力というエネルギーを感じるし、そこで生活する人やかつて生活していた人々の逞しさや躍動感も感じることができる。

ーー坂を歩くときは人の気持ちになって、ということですね?

いちがみさん:そうなんです。名前の由来や当時の歴史背景を知ることで、いつもとは違う風景を見ることができる。それこそが坂道を楽しく歩くコツだと思います。

気になるものがあればカメラに収める。いちがみさんにとって坂道スナップはライフワークのひとつ。
自転車を押して広坂を歩く学生さん。いつかこの坂に思いを馳せる日が来るはず(写真提供:いちがみさん)

聞けば聞くほど押し寄せてくるいちがみさんの坂愛。最後に、お気に入りの坂を3つ選んでいただきました。

いちがみトモロヲさんが選ぶ、金沢の坂道3本

① 嫁坂(石引)

加賀藩初期、坂の上に住んでいた藩の重臣である篠原出羽守が、娘を本庄主馬へ嫁がせたことでその名がついた「嫁坂」。

いちがみさん:まず、名前の由来が情緒的ですね。湾曲した道も女性的だし、由来に沿って石畳も女性らしい配色になっています。

父が娘に贈った祝福の石垣を眺め、その心を感じながらゆっくりとくだるのがこの坂道の楽しみ方だそう。

野面積みで積まれた石垣。坂ができた当時のものだと考えられている。

② 子来坂(東山)

慶応3年に卯辰山が開拓されたさい、作業に出た住民多数が子供が来るようににぎやかに登ったことで「子来坂(こぎざか)」という名がついた。現在はこらい坂と呼ばれている。

いちがみさん:こぎざかという名前の響きが好き。坂の道中ににある宝泉寺からの見晴らしや、子来町緑地の桜もきれいです。

この狭い道幅でありながら、車が往来する公道というのも驚きです。

加賀藩主前田利家の守本尊をまつる「宝泉寺」。
その境内からは金沢の旧市街地が一望できる。

③ 馬坂(扇町)

その昔、田井村の農民が小立野へ草刈りに行くため、馬をひいて登ったのことでその名がついた「馬坂」。六曲り坂(むまがりざか)ともいわれていた。

いちがみさん:最高斜度26度という力強さを感じる坂道。登り切るのにひと苦労なこの坂を、当時の人は馬を引いて歩いていました。素晴らしいエネルギーです。

ちなみにいちがみさんのお父さんは、この坂で酔っ払って転んだことがあるそう。危ない危ない。

なかなかの傾斜をもつ坂道。明治時代には料理店や待合が建ち並び、三味線の音が鳴り響いていたそう。

長い間、金沢に暮らしながら意外と知らなかった坂のこと。これからはその由来や時代背景を感じながら、ゆっくり歩いてみたいと思います。

※こちらの情報は取材時点のものです。

(取材・文/吉岡大輔、撮影/林 賢一郎)

© ビッグカントリージャパン株式会社