無数の顔の苦しみを想像する  戦後75年盛夏、「原爆の図」と新たに向き合う

By 田村文

 死者の、あるいは死の淵にいる者の、顔、顔、顔。私は顔を見ていた。そこに浮かぶのは苦痛、恐怖、悲嘆、絶望、虚脱、虚無…。それでも、美しいとさえ感じる顔もある。これらの地獄絵図のどこにも希望はない。あたり一面、死のにおいが漂っている。

 画家はこの無数の顔を描くことで、犠牲者の声を伝えようとしたのだと思った。ここに生きていた命が確かにあり、それが原爆によって無惨にも奪われていったという事実が、これらの絵に刻まれている。

 戦後75年の盛夏、埼玉県東松山市の「原爆の図丸木美術館」に行き、「原爆の図」と向き合った。(共同通信=田村文)

「原爆の図」の展示風景=埼玉県東松山市の原爆の図丸木美術館

 ■赤子の死に母は気付いているか

 「原爆の図」は水墨画家の丸木位里(まるき・いり、1901~95年)と、油彩画家の丸木俊(まるき・とし、1912~2000年)の夫妻が共同で制作した連作で、全15部のうち第14部までがこの館に展示されている(第15部「長崎」は長崎原爆資料館に常設展示)。各部とも縦1・8メートル、横7・2メートルの屏風絵で、展示室の壁面を覆うほど大きい。

 第3部「水」は、右側に水を求めて苦しみもだえる人たち、左側に足だけが見える屍(しかばね)の山、中央に赤子を抱く母が描かれる。顔の腫れあがった母は、自らが抱く赤子が既に亡くなっていることに気付いたのだろうか。じっとわが子の顔を見つめている。

 この絵と対面して置かれた第5部「少年少女」はひときわ胸を打つ。少女2人が悲痛な表情で抱き合っている。2人は姉妹だという。少し左に目を転じると、上半身だけを起こした少女が、自分の横の屍を見詰めている。描かれる人物に着衣はない。爆風にはぎ取られたか、あるいは業火に焼かれたか。

「原爆の図」第3部「水」の展示風景=原爆の図丸木美術館

 ■暴力に対峙するエネルギー

 丸木夫妻はどれほどの思いで「原爆の図」に取り組んだのか。

 広島は位里の故郷。疎開先の埼玉県で、広島に「新型爆弾」が落とされたことを知る。位里は原爆投下3日後の8月9日夜に広島に入り、見渡す限り焼け野原になった街で苦しむ人々を目の当たりにする。そして後を追って駆け付けた俊と約1カ月、広島で過ごす。

 2人が「原爆を描こう」と決意するのは48年のことだ。当時は占領下、原爆の写真や報道は禁じられ、一般の人々は被害のすさまじさを知らなかった。第1部から第3部までは50年に発表した。第15部は82年の発表だから、32年にわたって制作を続けたことになる。

 テーマは被爆直後の広島にとどまらない。15部のうちには、日本人による米兵捕虜の殺害、朝鮮人被爆者、ビキニ環礁での水爆実験、反核運動を題材にしたものなどがある。被爆を起点に、核に関わる事件や日本の加害の歴史にまで視野を広げ、問題意識を深めていった。

 館には他にも、アウシュビッツ収容所における悲劇や南京大虐殺、水俣病などに材を取った絵も展示されている。戦争や差別といった暴力を描き尽くし、それと対峙するエネルギーを放ち続けている。

原爆の図丸木美術館の外観

 ■4500人から計6千万円の支援金

 「原爆の図丸木美術館」は、丸木夫妻が「原爆の図」を誰でもいつでも見られるようにとの思いを込めて建てた。開館は67年。だが今年、新型コロナウイルスの感染拡大により4月9日から2か月間、臨時休館をせざるを得なくなった。

 国や自治体、企業からの支援を受けていない。入館料と「友の会」など個人の寄付が運営の基盤となっているから、館の存続自体が危うくなった。そこで緊急支援を呼び掛けたところ、約4500人から6千万円近くが集まった。  

 6月9日から再開。戦後75年という節目の年だけに、一般の来館者は多い。だが団体客が途絶え、運営は今も苦しい。学芸員の岡村幸宣さん(46)はその状況を冷静に受け止めている。

 「来館者は84年をピークに減り続け、昨年は最盛期の5分の1まで落ち込みました。このままでは運営が行き詰まる可能性があるということを、コロナに突き付けられた気がしています」

原爆の図丸木美術館の学芸員、岡村幸宣さん

 紫外線・虫害対策や温湿度管理の必要性から2017年、新館の建設を目指して基金を設立、これまでに約1億1千万円を集めたが、まだまだだ。「目標は3億円。インターネット・アーカイブの確立や海外への発信の充実も視野に入れています。『友の会』も高齢化しているので、若い支援者を増やしたい」。岡村さんは持続可能な美術館の在り方を模索している。

 ■現代性失わない作品群

 優れた芸術作品は、現代性を失わない。「原爆の図」も常に時代に即したメッセージを発信してきた。

 11年の福島での原発事故の後には、「原爆の図」の意味が見直されることになった。放射性物質という「不可視の脅威」が現実になり、顕在化したからだ。

 第4部「虹」には、放射性物質を含む“黒い雨”の後に浮かんだ虹が描かれる。「黒い雨訴訟」で敗訴した広島県と広島市、国は8月12日に控訴した。この問題もいまだに過去になっていない。作品は見る者に、それを突きつけているようだ。

 新型コロナウイルスによる死者は世界で77万人を超えた。既に広島と長崎の原爆で殺された人の数を上回ったが、私たちはその人たちの苦しむ顔を見ることはない。だからこそ、不可視だった被爆の実相を絵画によって表現し、GHQによる検閲をも突破しようとした丸木夫妻の強い意志と、その尊さをひしひしと感じる。

 「原爆の図」は過去を写しながら、わたしたちの「いま」と「未来」を照射する。そして見る者の心をかき乱す。 何度でも想像させる。無数の顔たちの思いを、その苦しみを。

【注】第1部、第2部は8月末まで、第4部は12月末までレプリカ展示の予定

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