『あの日のこと』 山本睦子さん えぷろん平和特集2020 #あちこちのすずさん

 年を取っていろいろなことを忘れても、あの日のことだけは鮮明に覚えています。昭和20(1945)年8月9日、長崎師範学校付属国民学校の4年生でした。朝からいったん登校しましたが、警戒警報が鳴り、すぐ家に帰されました。
 原爆投下の10分ほど前、西山にあった自宅に着きました。玄関先で三つ年上の次兄と2人、おしゃべりをしていました。おなかがすいて、朝持たされた弁当を開けると、麦ご飯と昆布のつくだ煮が入っていました。
 そのとき、飛行機の爆音が響きました。開け放した玄関から英彦山の上を飛ぶ飛行機が見えました。ピカッと光ったかと思うと、すごい音と爆風がして吹き飛ばされました。
 何が起きたか分からぬまま、兄と一緒に防空壕(ごう)に逃げました。知人に言われるまで気付きませんでしたが、背中にガラスの破片が突き刺さり、ブラウスが血で染まっていました。
 その後しばらく防空壕で生活しました。原因不明の貧血で苦しみ、両親はブタのレバーを煮たものを食べさせました。ものすごいにおいで、両親は「食べたくない」という私の口に押し込むようにして食べさせたのです。でも、おかげで生きることができました。
(長崎市・無職・84歳)

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