『灯火』 江島久美子さん えぷろん平和特集2020 #あちこちのすずさん

 国民学校2年だった昭和16年12月8日に開戦。「日本が攻撃したお祝い」だと、全校児童が日の丸の旗を持って町内を行進した。
 6年になった昭和19年、入隊する軍服の男性に校庭から旗を振って「万歳三唱」が毎日の行事だった。午後は白い布のお骨箱を抱いた婦人が講堂に4、5人訪れ、お坊さんのお経で慰霊祭だった。
 授業中は警戒警報の「ブーン」という合図で山へ逃げ、空襲警報の「ブンブン」で机の下に潜り込む。体育ではなぎなたで突く、倒す。「振り回してやっつけろ」の稽古。衣類は破れノートはなかった。靴やボールも盗まれた。
 配給制でも米はなく、雑穀入りはいい方。闇米を仕入れ、わが家で取れたサツマイモを混ぜた芋飯を食べた。こんな時でも、兵隊が来たら宿を引き受け、食事も3食食べさせた。兵隊さんが、毛糸で作る人形を教えてくれた。
 絵と作文をクラスごとに先生が袋に詰め、慰問袋を戦地へ送った。放課後は茶の実やイナゴ、桑の皮、落ち穂を拾い、国道の端を耕して芋を植えた。
 終戦後、家に鍵を掛けて潜んだが何もなかった。家に明るく灯がともせるようになり、平和が戻った。
(佐世保市・無職・86歳)

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