『母への思い』 平野静代さん えぷろん平和特集2020 #あちこちのすずさん

 壁一面の写真の中でふっくらと笑っている母の顔がある。たぶん、女学校の入学時に撮ったのであろうか。制服姿の安心しきった笑顔である。4カ月後、まさか一瞬の閃光(せんこう)で左の頬に鉄片が突き刺さるとは想像もしなかっただろう。
 正直、私は母の被爆時の状況をほとんど知らなかった。顔や体に傷が残っている事は分かっていたが触れてはいけないような気がしていた。夢を持ち輝いていた年齢で戦争になり、そして被爆。あまりにも悲惨すぎる人生。以前、本紙の平和特集で母の名前を見つけ、改めて考えてみた。
 私が受験した長崎商業高校の合格発表の日、母は長崎市油木町の校舎に入るなり、「ああ、ここは…」とつぶやいた。その言葉が耳に残っている。被爆当時の地獄絵がよみがえり平常心ではいられなかったのだろうか。ほぼ同じ年齢でありながら平和の中にいる私は、愚かにも原爆投下の悲惨さを考えてもいなかった。
 母は16歳で顔や体に重傷を負い、物資不足の中、治療はどんなだったのか。毎日、自分の不運さを嘆いただろう。被爆による死者や行方不明者がたくさんいた悲惨な状況でも必死に前に進んだ日本、せめて人間による殺りくはやめよう。
(長崎市・主婦・71歳)

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