
今、不二家レストランでこれを書いている。
“永遠の6歳”ペコちゃんが70周年を迎えると知り、昭和の不二家の思い出が込み上げてきて、思わず店へ駆け込んだのだった。
昭和40年代、目黒駅の上にあった不二家は、子どもの私にとって天空のワンダーランドだった。甘くて、平和で、キラキラした時間だった。
エレベーターのドアが開いた瞬間、クリスマスパーティーみたいな雰囲気の店内で、頭をゆらゆらさせたペコちゃんが私を待ってくれていた。
久しぶりに訪れた、不二家レストラン。
のどかな昼下がり、店内は家族連れが数組。ビールを楽しむ大人たちや、遅いランチを食べる人々。
何にしようか、メニューを開きワクワクする。
網状の焦げ目がついた目玉焼き付きのハンバーグ・ステーキやホットケーキ、パフェやかき氷があった。だけど、大好きだった「ペコちゃんサンデー」や大人ランチプレート、不二家デミグラスハンバーグは消えていた。
そうか、これも時代の流れなのだろうか。いい年した大人が大人のお子様ランチにウキウキし、ペコちゃんサンデーやミルキーパフェの甘みにうっとりしていた。ファミレスや、はやりのカフェにはない、永遠の6歳のワンダーランド。誰でも永遠の6歳になれればいいのに、なんて、子どもみたいに妄想した。

不二家は、明治時代に横浜の元町に誕生した。
大正11年(1922年)、伊勢佐木町にも開店。
その店は、建て替えられたが、今もその場所にある。
なんたって、その建物がモダンでしゃれている。
左側にだけガラスブロックが垂直にはめこまれ、左右非対称。
1960年代の建築かと思いきや、作られたのは1937年。
関東大震災からの復興のため、近代建築の巨匠フランク・ロイド・ライトとともに来日したアメリカ人建築家によるものだという。
その後、大戦の戦禍を免れ、GHQによる「オフリミット(日本人立ち入り禁止)」のYOKOHAMA CLUBに姿を変えたりしながら今日に至っている。
この建物は、建築物としても、歴史的にも貴重なので、ずっと残してほしいと思う。

昭和40年代に子どもだった世代は、不二家で育ったと言っても過言ではないだろう。
ドアの前に立つと、ふわぁっと足が浮くような気分になった。
ハンバーグもおいしかったけれど、お目当てはデザートだった。
プリン・アラモードやペコちゃんサンデー。
サンデーというのは、日曜日に食べるからサンデーなのだ。
不二家に行けない時は、おでこをこれでもかと突き出し、にらみをきかせた。すねて駄々をこねて父を観念させ、何としても会いに行くのだ。頭がゆらゆら動くペコちゃん、ポコちゃんの元へ。
父の用事が済むまでいい子にしていれば、不二家でお菓子を買ってもらえた。
象さんの鼻が取っ手になっているプラスチックのカップ。
花の飾りがついた小さなバスケット。
ブリキ缶でできた愛らしい容器。
甘くてかわいいお菓子が入っていて、一つ一つの包み紙を開くのが少女の私をワクワクさせた。
陳列棚に並ぶ、お菓子たち。
ママの味のキャンディー「ミルキー」。
七五三の千歳飴(ちとせあめ)だって、私はミルキー派だった。

鉛筆や傘の形をしたチョコレートもあった。
「パパはお仕事ペンシルチョコレート、ママはお買い物パラソルチョコレート」とCMでは歌われていたっけ。
母が好きだったフランスキャラメル。
幼い私の脳裏に刻まれた、うれしそうに小箱を見つめる少女のような母の顔。
思い起こせば、不二家は母が好きだったのだ。
懐かしい味を今の母に食べさせてあげたいと思う。

ハイカップという濃縮乳酸菌飲料もよく飲んだ。
理由は、テレビアニメのグッズに応募すること。
『怪物くん』や『パーマン』の番組の終わりに、ペコちゃんがその人気キャラとともにやってくる。
「一緒に遊ぼう」と言わんばかりに、ブラウン管の中から私の腕をとってブンブンふりまわす(ような気がした)。
そして「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ」というおじさんの声とともに、軽やかに去ってゆく。
「ええ~、もう終わっちゃうの。また来週ね」と、小さく手を振る私。
「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ」が映画解説者の淀川長治さんだということも知らず。
テレビのアニメ番組の提供で、不二家をすり込まれた世代。
いつの間にか、大人になって不二家レストランにもあまり行かなくなった私。
不二家のお菓子もたまには買って食べるけど、やれオーガニックだ、コンビニだと時代に流されてゆく。
それでも、甘いふわふわのスポンジに感動し、これ以上の幸せはないと思ったあの頃を思い出す。
突然、ハッピーバースデーの音楽が流れる店内。
小さな女の子の誕生日をお店が祝ってくれている。
「ご来店のお客様もよろしかったら拍手をお願いします」
なんて至福な時間だろう。
小さな女の子の笑顔を一緒に祝ってくれるレストラン。
ペコちゃんは、いつだって子どもたちを笑顔にする。
おいしそうに舌をペロッとしながら、楽しいひと時を一緒に過ごしてくれるのだ。

1950年、「街にオアシス」という願いをこめて、頭の揺れる張子の人形を店頭に立てた。その時から、ペコちゃんは永遠の6歳だ。
子どもたちはいつしか大人になり、子を持つ親となり、孫がいる人もいるだろう。
世知辛いご時世だからこそ、潤いのある優しい時間を過ごしたい。
そんなとき、ペコちゃんがいるだけでなんだか幸せな気持ちになる。
永遠の6歳の笑顔はマスクに隠れてゆらゆら揺れていた。
ペコちゃんから笑顔が消えないよう、私は永遠の6歳になりたくて、レストランを訪れる。
ペコちゃん、また来るね!(女優・洞口依子)