1年半の苦労が結実したTOYOTA GR SPORTS PRIUS PHV apr GTのポールポジション《GT300予選あと読み》

「あったねぇ。言われてみれば感慨深いかも」

 あれから1年半。嵯峨宏紀/中山友貴のドライブで見事スーパーGT第3戦鈴鹿のGT300クラスポールポジションを獲得したTOYOTA GR SPORTS PRIUS PHV apr GTを走らせるaprの金曽裕人監督に、予選後夕焼けが出る鈴鹿サーキットのパドックで話を向けると、思い出したかのように語った。

 こちらが向けた話は、2019年3月7日の鈴鹿の話だ。2019年から規定によりFR化されたaprのプリウスPHVは、2月には30号車がセパンでテストに参加し、31号車はこの日鈴鹿でシェイクダウンに臨んでいた。ところが、操舵系のトラブルが発生し1コーナーで高速クラッシュ。フロントを大破してしまった。

 その後もaprのプリウスPHVは、苦労の連続だった。毎年のようにチャンピオンを争っていたエースナンバー『31』がポイント獲得すらままならない。これまでその歴史を彩ってきたMR-Sやカローラアクシオ、プリウスはすべてミッドシップのレーシングカーだったからだ。

「ミッドシップだったら誰にも負けないとは思っているけど、『FRとはなんぞや?』からスタートして、クルマの動かし方から設計からひとつずつ学んでいった」という一年を過ごしていった。

 とはいえ、aprと言えどいきなりミッドシップで速かったかといえば、JGTC全日本GT選手権参戦当初は、つちやエンジニアリングに「コテンパンに負けた」状況だった。しかし、「テクノロジーを自分たちで見極めたい」というaprのスピリットで、「こんなに時間がかかるものかと思った」という苦労を続けてきたが、「かなり理解できるところまできた」というところまでFRのレーシングカーを“モノ”にしてきた。

 2020年に向け、埼玉トヨペットGreenBraveが走らせるGRスープラを共同で生み出したが、それと同時に、プリウスPHVは徹底した軽量化と空力の進化を果たし、その速さの片鱗は第1戦からあった。また、埼玉トヨペットGreenBraveはこれまでもFRのGT300マザーシャシーを走らせており、その蓄積があったと金曽監督は言う。一方で、aprのプリウスPHVは細かいトラブルがあったりと、なかなか目立った成績を残せていなかった。

 この日も、公式練習までは17番手。「ダメなところをひとつずつ検証していくのがウチのやり方」と、セットアップをひとつずつ試しながら検証を進め、「ぜんぶ足したら間違いなくオイシイものができあがる」とドライバーに伝え、それが実を結んだのがこの公式予選だったのだ。その点では、ひとつずつ試していった総合の状態でのアタックだったのだが、それを活かしきった嵯峨と中山のアタックは賞賛されるべきものだ。

 とはいえ、金曽監督は決勝では「給油時間も長いし、鈴鹿では無交換もあり得ないと思っている。順位を保つのは少し厳しいと感じていて、表彰台に乗れれば……というくらい」だという。そして金曽監督は、ポールポジションという結果は残しているものの、「やっぱり開幕で、素の状態でポールポジションを獲っている人がやっぱり速い。今年はウエイトハンデがポイント×3だし、レギュレーションのおかげもあると思う」とまだまだ磨くべきところがあるとする。

 走路外走行でリアライズ 日産自動車大学校 GT-Rを駆るジョアオ・パオロ・デ・オリベイラのタイムが抹消されてしまったラッキーもあった。「今回『速いよね、いいクルマできたよね』と喜ぶのはまだ全然早い」と金曽監督は言う。とはいえ、こうして“速い31号車”が戻ってきたのはスーパーGTファンにとっては喜ばしい限り。

「本来であれば、たくさんのお客さんが入っているなかでレースをしたいというのが僕らの気持ちとしてはありますが、こういう状況ですしね。ひさびさにプリウスのポールポジションなので、テレビの前でぜひ応援してほしいと思いますし、僕らもその応援に応えられるようにレースの最後の1周まで気を抜くことなく頑張っていきたいと思います」と苦労をともに歩んできた嵯峨は語った。

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