河井夫妻から現金、でも起訴されない理由 25日開始の裁判で「買収された」と証言促す?

By 竹田昌弘

 昨年7月の参院選広島選挙区を巡り、公選法違反(買収など)の罪に問われた前法相の衆院議員河井克行被告(57)と同選挙区で初当選した妻の案里被告(46)=ともに自民離党=の公判が25日、東京地裁(高橋康明裁判長)で始まったが、夫妻の起訴状で買収された(被買収)と指摘されている広島県議や同県内自治体の首長・議員、選挙スタッフらは刑事処分が決まらないままだ。従来は買収額が数千円と少額の場合などを除き、被買収側も起訴・略式起訴されてきた。今回は訴追、不訴追双方の可能性がある状態にして、被買収側には、現金の趣旨が最大の争点となる夫妻の裁判で「買収された」と検察側の意に沿う証言をさせるつもりなのだろうか。(共同通信編集委員兼論説委員=竹田昌弘) 

広島市内のホテルで開かれた政治資金パーティーで、見つめ合う河井克行被告(右)と妻の案里被告=2019年9月23日

 ■起訴された買収は100人に128回、総額2900万円

  起訴状によると、克行被告は昨年7月4日公示、21日投開票の参院選広島選挙区で、案里被告を当選させる目的をもって、同年3月下旬から8月1日ごろまでの間、98人に案里被告への投票や票の取りまとめなどの選挙運動を依頼した報酬として、広島選挙区の選挙権がない2人には選挙運動を依頼した報酬として計100人に前後128回にわたり、総額2900万円余りの現金を渡して買収したとされている。検察側は100人のうち5人に前後5回にわたり、計170万円を渡した買収は、克行、案里両被告が共謀したとしている。 

 克行、案里両被告は公選法違反の買収の罪(3年以下の懲役もしくは禁錮または50万円以下の罰金)に加え、公示前に選挙運動をした事前運動の罪(1年以下の禁錮または30万円以下の罰金)にも問われている。さらに検察側は起訴状で、克行被告を「選挙運動を総括主宰した者」と指摘。裁判で総括主宰者と認定されると、公示後、8人に前後11回にわたり、計約295万円を渡した買収の罪は公選法の規定により、刑が4年以下の懲役もしくは禁錮または100万円以下の罰金と重くなる。 

 夫妻の起訴状には、現金受け渡しの時期、場所、現金を受け取った人の氏名、金額などをまとめた「別表」が付いている。受け渡しは3月16回、4月17回、5月31回、6月49回と増えていき、7月は公示前に4回、公示から投開票まで5回。投開票後は8月も含め6回となっている。受け渡しの場所は克行、案里両被告の事務所、受け取った人の自宅や事務所、自治体の議長室、ホテル、ステーキ店、中華料理店、公民館、駐車中の自動車内、路上など。選挙スタッフとみられる人の銀行口座へ振り込んだケースも記載されている。 

現金授受の現場の一つとなったリーガロイヤルホテル広島=2015年4月、広島市中区

■亀井氏秘書の300万円が最高額、次いで県議200万円 

 別表と共同通信社の取材(現金を受け取った人の職業・立場)によると、現金を受け取った100人のうち、県議や自治体首長・議員の地元政治家は少なくとも40人。元県議や県内自治体の元議員も数人含まれ、残りは克行、案里両被告の後援会関係者や選挙スタッフとみられる。金額は広島県選出の元衆院議員で、運輸相や建設相、金融相などを歴任した亀井静香氏の秘書を務めていた男性が300万円と最も多く、次いで元県議会議長の奥原信也県議に200万円、現金授受が発覚して三原市長を辞職した天満祥典氏に150万円と続く。それ以外の地元政治家は10万円から100万円だった。選挙スタッフや後援会関係者などには、5万円から数十万円が提供されていた。 

報道関係者の取材に応じる広島県議の奥原信也氏=6月24日、広島県呉市

 100人に総額2900万円余りという大規模買収事件が起きた参院選広島選挙区(改選2)では、過去2回にわたり、自民党候補の得票が50万を超え、2位当選の野党候補に大差をつけたことから、自民党本部は昨年の選挙で、6選を目指す溝手顕正元国家公安委員長に加え、もう1人擁立しようと人選を進めた。これに対し、自民党広島県連はかつて2人が立候補した際、大半の県議が推した候補が敗れたことなどから、複数の擁立には強く反対した。 

 しかし、党本部は安倍晋三首相の側近で首相補佐官や自民党総裁外交特別補佐を歴任した克行被告の妻で、県議だった案里被告の擁立を強行する。溝手氏は第1次安倍政権当時の2007年参院選で自民党が敗れた際、首相の責任について「私はあると思う」と公言するなどしてきたことから、首相は溝手氏を快く思っていないと言われてきた。案里被告は出馬会見で「2人擁立は総理のご判断」と明言。党本部が案里被告に溝手氏の10倍に当たる1億5千万円の選挙資金を提供したのに対し、広島県連は組織的な支援を溝手氏に一本化した。克行、案里両被告は地元の非協力に危機感を募らせるとともに、首相らの期待に応えなければならないという焦りもあったとみられる。

トランプ米大統領の側近と言われるバノン前首席戦略官兼上級顧問(左)と会談する河井克行被告。安倍晋三首相の側近として、総裁外交特別補佐を務めていた=2017年12月18日午後、東京都千代田区(代表撮影)

 案里被告の公認は昨年3月13日に発表され、起訴状と別表によると、現金の授受は同月下旬から始まった。5月までは県議や自治体首長・議員が中心で、同月下旬から6月にかけて同じ人との2回目の授受があった。当選を重ねてきた溝手氏の地盤を切り崩そうとしていたとみられる。中でも150万円を受け取った天満氏が市長を務めていた三原市は、溝手氏のまさに地元だった。選挙スタッフや後援会関係者らとの授受は5月から本格化した。県連の協力が得られず、選挙スタッフにも事欠いたのかもしれない。 

記者会見する広島県三原市長当時の天満祥典氏=6月25日、三原市役所

 ■被買収側も通常訴追、夫妻公判での証言重要に 

 25日の第1回公判では、克行、案里両被告は現金の供与をおおむね認めつつ「(案里被告への)投票や投票の取りまとめの趣旨で供与していない」と買収を否認し、無罪を主張した。両被告の共謀や克行被告が「総括主宰者」との指摘も否定。案里被告は現金の趣旨について「統一地方選に立候補していた人への陣中見舞いや当選祝いだった」と述べた。検察側の冒頭陳述では、克行被告が地元政治家らになりふり構わず選挙運動を依頼したことや現金を渡した際、領収書の作成を求めず、党勢の拡大も頼んでいないこと、克行被告が現金の供与状況をまとめたリストを作成し、自分のパソコン内などに保存していたが、専門業者に依頼して消去したことなどを指摘した。 

 河井夫妻が起訴された買収の罪が成立するためには、最高裁が「(現金などの)供与の申し込みだけでは足りず、申し込みを受けたものが、その供与の趣旨を認識してこれを受領することを要する」(1955年12月21日第2小法廷決定)というハードルを設けている。検察関係者によると、検察側は被買収側も買収の趣旨を認識していたことを立証しなければならないが、その認識は確定的なものでなくても、例えば「現金を渡された時期や〇〇候補を応援していることは知っていたので、〇〇候補を応援してほしいという意味だろうと思った」といった程度でいいとされている。 

 関係者によると、河井夫妻から現金を受け取ったとして、起訴状の別表に氏名を記載された100人のうち多くは東京地検特捜部などの取り調べで、買収の認識を認めたといわれている。検察側は河井夫妻の公判で、被買収側の証人尋問や現金授受を巡る外形的な事実(例えば、授受の場所や領収書の有無)などによって、夫妻に買収の認識があったことの立証を目指すとみられ、被買収側の証言内容が非常に重要となる。 

 その被買収側の100人は、起訴・略式起訴されず、起訴猶予による不起訴処分にもなっていない。東京地検特捜部の市川宏副部長は河井夫妻を起訴した7月8日、報道関係者に「起訴すべきものは起訴した」と語り、被買収側の処分をしないことについては「差し控える」として説明を避けた。 

 これまでは処分の見送りなどあり得なかった。例えば、昨年4月の青森県議選を巡る買収事件では、青森区検が当選した候補らから選挙運動の報酬などとして現金5万円をそれぞれ受け取ったとして、同県三戸町議8人(いずれも辞職)を略式起訴。青森簡裁は罰金30万~40万円の略式命令を出している。2014年の東京都知事選を巡っては、落選した候補から選挙運動の報酬などとして、現金20万~200万円をもらった選挙スタッフ6人が起訴され、執行猶予付きの有罪判決を受けるなど、被買収側も訴追されてきた。ただ昨年6月の青森県三沢市長選を巡り、落選候補の陣営から商品券2千円分をもらった35人が起訴猶予となったように、買収が少額の場合は訴追されないケースが多い。 

青森県三戸町役場内の町議控室を家宅捜索し、押収物を運び出す捜査員=2019年5月8日

 ■克行被告側、検察と被買収側の「裏取引」主張 

 河井夫妻から現金を受け取ったとして、起訴状の別表に氏名が記載された100人は訴追されない利益だけでなく、不起訴処分にもならなければ、告発されている一部の県議らは、起訴を議決できる検察審査会の審査にかからない利益も得られる。これらの利益は、河井夫妻の公判で買収の認識を認める証言をすることの見返りではないのか。そんな疑問も出てくる。また現金200万円の授受を認めている奥原県議が刑事処分に関する取材では「検察からコメントを控えるよう言われている」と述べている。

 克行被告の弁護側は25日の第1回公判で、被買収側が起訴されていないのは「(他の選挙違反事件と比べると)著しく均衡を欠くことは明らかであり、(両被告の起訴は)公正さを著しく害する偏頗な公訴提起である」と検察側を批判した。その上で、検察側は被買収側に刑事処分を行わないことを伝えるなどして買収の趣旨を認める供述を得たとして、そうしたやり方は違法性の高い「裏取引」だと指摘し、裁判所に審理を打ち切る公訴棄却を求めた。

 18年6月に施行された改正刑事訴訟法により、容疑者・被告が共犯者ら他人の犯罪の捜査や公判に協力する見返りとして、検察側が起訴を見送ったり、求刑を軽くしたりする日本版司法取引の協議・合意制度が導入されたが、その対象は贈収賄や金融商品取引法違反などの経済事件、薬物・銃器事件などに限定されている。公選法違反事件は対象外で、日本版司法取引はあり得ないので、克行被告の弁護側は違法性の高い「裏取引」と主張しているようだ。

 日本版司法取引は10年に発覚した大阪地検特捜部検事による証拠改ざんと特捜部長らによる隠蔽事件を契機として、検察改革とともに進められた刑事司法改革の一つ。取調官に供述を強要させない方策として、裁判員裁判の対象事件と検察の独自捜査事件で、取り調べの録音・録画が義務化されるのに対し、検察と警察は供述が得にくくなるので、新たな捜査手法が必要と主張し、日本版司法取引が導入され、通信傍受の対象犯罪が拡大されるなどした。 

 東京地検特捜部長として河井夫妻の事件捜査を指揮し、7月31日付で津地検検事正に異動した森本宏氏は、法務省刑事局などでこの刑事司法改革に携わり、日本版司法取引も熟知しているとみられる。日本版司法取引が始まる前の17年9月、東京地検特捜部長に就任し、最初に手掛けたリニア中央新幹線関連工事の談合事件では、談合を認めない大成建設と鹿島の担当者は逮捕、起訴する一方、談合を認めた大林組と清水建設の担当者は起訴猶予とし、罪を認めるかどうかで対応を変える、司法取引のような刑事処分をした。

津地検検事正の就任記者会見に臨む森本宏氏=8月3日、津市

 日本版司法取引がスタートすると、特捜部はタイの発電所建設を巡り、地元当局の公務員に約3900万円相当の現地通貨バーツを渡した疑いが浮上した三菱日立パワーシステムズ(MHPS)の社員に対する捜査に会社が協力する代わりに、会社は免責する司法取引を成立させた。不正競争防止法違反(外国公務員への贈賄)の罪でMHPSの元取締役らは在宅起訴され、法人は不起訴となった。

 MHPS事件とは対照的に、捜査に協力した部下を免責し、トップと法人を立件したのが、日産自動車会長(当時)だったカルロス・ゴーン被告(66)の事件だった。司法取引に応じた日産の執行役員と元秘書室長は不起訴処分とした。このように森本氏は日本版司法取引や司法取引的な捜査、刑事処分に積極的だった。河井夫妻の事件では、被買収側の刑事処分をしない事実上の司法取引のようなやり方の当否も問われそうだ。

 河井夫妻の裁判は12月18日まで計55回の公判が予定され、被買収側に加え、克行被告の事務所関係者ら約120人の証人尋問が続く。東京で新型コロナウイルスの感染者が依然多いことなどから、広島県内に住む証人の中には、広島地裁へ赴き、東京地裁の法廷と映像で結んで尋問するビデオリンク方式となる人もいる。証人尋問などの証拠調べが終わると、検察側の論告や弁護側の最終弁論があり、判決は来年のできるだけ早い時期に言い渡される見通しだ。(了)

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