若き薩摩の群像

 薩摩藩士から実業家になり「近代大阪経済の父」と呼ばれる五代友厚には、終生影のように付き添った優れた補佐役がいた。長崎生まれの堀孝之(1844~1911年)だ▲堀家は長崎のオランダ通詞。蘭(らん)学者として薩摩藩にも仕えた。孝之はペリー来航時に通訳を務めた達之助の次男で、英語はお手の物。幕末に薩摩藩が英国へ派遣した使節団・留学生19人の一員に選ばれ、五代ら一行の通訳として大いに働いた▲ところが、鹿児島市が1982年、JR鹿児島中央駅前に設置した使節団・留学生のモニュメント「若き薩摩の群像」は17体の像で作られた。孝之と、土佐出身だった留学生の高見弥一は「藩外出身」を理由に除かれた。理不尽では、と言いたくもなるが▲幸い鹿児島の人々が疑問の声を上げてくれた。足かけ13年の運動が実り、市は今年、2人の像の追加を決めた▲幕末長崎では五代や小松帯刀(たてわき)ら多くの薩摩藩士が倒幕のために暗躍した。それを陰で助けたのが孝之ら長崎人だった。運動に携わった歴史学者の原口泉・志学館大教授は「長崎と薩摩のつながりは深い。これでわだかまりが解ける」と追加を喜ぶ▲これからはモニュメントを見た人が「どうして19人ではないの?」と首をかしげることもない。追加工事は10月初旬ごろ終わるそうだ。(潤)

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