旅人には身近な脅威、イギリスの植民地を旅して広がった「コレラ菌」

日本でも19世紀に大流行したコレラは、もともとインドの一地方の風土病に過ぎませんでした。それがなぜ、「世界進出」を果たし、日本にまでやってきたのか。そこにはイギリスが推し進めた、植民地政策という名の「グローバル化」がありました。


コレラというと過去の伝染病のようにも思いますが、途上国ではまだまだそうでもありません。厚生労働省の検疫所によれば、世界で130万~400万人がコレラに感染し、そのうち2万~14万人が亡くなっていると推定されています。

とくにインドやアフリカ南部、中米ではたびたび流行しており、こうした場所を旅する人々にとっては気をつけなければならない病気でしょう。長期にわたって旅するバックパッカーが感染することも稀にあるようです。旅人にとってコレラはいまだ身近な脅威なのです。

ガンジス川下流域から広がっていった

そんなコレラは、人類が定住化をはじめたと同時に発生したと考えられています。食料を得る手段が狩猟採集から農耕へと変わると、ひとつの土地に定住する必要が出てきますが、その場所はたいてい淡水源のそばでした。川や、湖です。飲み水や調理に使うだけでなく、田畑も大量の水を必要とするからです。古代文明がすべて川の流域に興ったのはそのためです。

しかしまだ知識の乏しい古代人たちは、排水もまた同じ水源に流していたのです。上水と下水が混じりあう水源は、しばしば病原菌の温床となりました。赤痢やチフス、さまざまな寄生虫、そしてコレラもそのひとつでした。

コレラ菌に感染し発病すると、激しい下痢と嘔吐から脱水症状となり、やがて死に至ります。治療法の確立していない時代は不治の病だったコレラですが、その「原産地」は、ガンジス川下流域のベンガル地方と考えられています。インド東部とバングラデシュにまたがる地域です。起源前から記録が残る、このあたりの風土病でした。

それがどうして世界中を駆け巡り、拡散していったのでしょうか。

きっかけをつくったのはイギリスでした。17~18世紀、北米やカリブ海に続きアジア諸国に進出していったイギリスは、インドも支配するようになります。

東インド会社を設立して交易を独占し、インド各地にプランテーションを建設、植民地化を進めていきましたが、その是非はともかくインド国内で人やマネーの動きが活発になったことは事実です。とりわけ鉄道の敷設や、近代的な港の開発によって交通インフラが整備され、植民地支配を支えるようになっていきましたが、そこにコレラも「同乗」しました。

旅の出発地となったのは、東インド会社の拠点のひとつカルカッタ(現コルカタ)でした。ベンガル地方を代表するこの商都で、コレラが大流行したのです。1817年のことでした。この流行はベンガル地方にとどまらず、イギリスが開発したインフラに乗って、全インドへと広がっていきます。

コレラ大流行の震源地となった現コルカタ

南蛮貿易を通して日本にも上陸

さらに1820年代には、イギリスの商船や軍艦で移動する人々とともに、世界中にコロナ菌が拡散しました。スリランカ、東アフリカ、中東、東南アジア……いずれもイギリスが植民地にしていたり影響力を強めていたところです。

そしてコレラは1822年(文政5年)、とうとう日本にまで到達。上陸したのは当時の交易の拠点、長崎でした。この頃の日本は鎖国政策を続けていましたが、長崎だけは南蛮貿易の拠点として海外に開かれた窓口だったのです。ここからさまざまな舶来品とともに、コレラも入ってきて、10数万人が亡くなったとされています。

イギリスの植民地支配の広がりと、発展した航海技術によって、コレラは商人や旅行者とともに世界を旅し、とうとうアメリカとヨーロッパでも流行するようになります。1830年代はコロナ拡散の原因をつくったイギリスでも猛威を振るい、14万人の死者を出しました。

幕末の「開国」がパンデミックを呼び込む

日本での2度目の大流行はやはり長崎からはじまりました。1858年(安政4年)にアメリカの軍艦が持ち込んだといわれています。このときは江戸でパンデミックを起こし、数十万人が犠牲になっています。

背景にあったのは1854年(嘉永7年)の日米和親条約でした。ペリー来航をきっかけに条約が締結され、日本はついに開国。多数の外国人や文化が流入してくるようになったのです。いわばグローバル化のはじまりだったのですが、同時にコレラも再び侵入してきました。人の往来がさかんになると疫病の蔓延も同時に起こるのは、コロナ禍に苦しむ現代と同じです。

100年前もいまも、対策は同じ

明治に入っても散発的に流行を起こしてきたコレラですが、少しずつ対策もわかってきます。1877年(明治10年)には当時の内務省が「虎列刺(コレラ)病予防法心得」を発布。そこには、「コレラ流行地から来る船舶を厳しく検疫する」「港のそばに隔離病院を設置し、船から患者が出たら収容する」「市街で流行したら人の動きを止める」といったことが記されています。水際検疫の強化、患者の隔離、ロックダウンと、現在と同じ対策を行っていることがわかります。

ベンガル地方は人口が多く「密」な都市ばかりで感染症が蔓延しやすい。写真はバングラデシュの首都ダッカ

1884年にはドイツの医師であり細菌学者ロベルト・コッホがコレラ菌を発見。疫学が進歩したこともあり、コレラは次第に脅威ではなくなっていきました。

現在ではコレラに対抗するワクチンや抗菌剤などがあり、長期旅行者や駐在員の中には利用する人もいます。上下水道の整っていないような場所ではまだまだ注意が必要な病気ですが、少なくとも世界的なパンデミックを起こす病気ではなくなりました。

人類はやがてコレラと同様、コロナウイルスも克服するでしょう。

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