『そこにはいない男たちについて』井上荒野著 かわいそうなのは私か彼女か

 いきなりの私事で恐縮なのだが、それこそ夢見る10代の頃から、自分には「結婚」はありえないなと思って生きてきた。あなたと共に生きるという約束。あなたの前からいなくならないという希望的観測。そんなことを無邪気に誓える人たちが、ずっと不思議でならなかった。だって、ありえないじゃないか。それぞれには、それぞれの人生があるのだ。今日、一緒にいられても、明日、気が変わるかもしれない。明後日、知らない誰かに出会うかもしれない。相手や自分を大恋愛の大波が飲み込むかもしれないし、相手や自分が突然、この世から消えてなくなるかもしれない。それらすべての可能性をかいくぐり、あろうことか「一生添い遂げる」だなんて、そんなの、天文学的に実現困難なミラクルである。

 物語の主人公は、ふたりの女たちだ。「まり」は不動産鑑定士である夫の秘書として働きながら、とにかく夫が嫌いで嫌いでたまらない。日常会話も、毎日の食事も、夫と共にする何かが彼女にとっては苦行である。夫が嫌がる時間帯に、夫の好みではない料理教室に顔を出し、マッチングアプリで知り合った男とデートしている。

 「実日子」はその料理教室の講師だ。愛する夫を突然亡くして1年が経つ。自宅、仕事場、駅までの道のり、目に映る風景すべてに、夫の思い出が染み付いている。それらに心の大部分を持っていかれているので、心配した弟子とその弟が、付かず離れず手助けをしている。そして物語中盤、この物語の根幹を突き刺す問いが、彼女たちの頭上に灯るのだ。

 「どっちがかわいそうなのか」。

 来た!と思う。幸せへの一歩として「結婚」を選んだはずの女たちが、その延長線上をひたむきに走ってきたはずなのに、幸せとは程遠い日々を生きている。実は世界中に溢れかえっているであろうこの不条理な現象の、著者はさらなる延長線を描こうとしている。

 ……と、そこから先に描かれた延長線を、ここでどう表現したらいいだろう。失う者がいて、めぐり会う者がいる。暗闇で一歩も進めない者がいて、暗闇だけど一歩踏み出してみようかなと思う者がいる。思えば「生きてく」ってそういうことだ。先は見えないけど、「生きる」をやめない。ある時はふわふわと、ある時はくっきりと。選ぶ選択肢がどうであれ、人生は、その繰り返しでできているのだ。

(角川春樹事務所 1500円+税)=小川志津子

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