スポーツ指導で半数以上が子どもの時に暴力を経験、暴力・セクハラを防ぐためには?

7月下旬、来夏に延期された東京オリンピック・パラリンピック開幕1年を前に、国際人権団体のヒューマン・ライツ・ウオッチ(HRW)が『数え切れないほどたたかれて』と題する調査報告書を発表しました。

今年1月から6月、オリンピック・パラリンピック経験者を含めた現役および引退したスポーツ選手約800人(少なくとも50競技)にインタビューやオンラインアンケートを実施。日本におけるスポーツ指導の場での子どもに対する虐待の実態を明らかにしました。

"スポーツの秋"を控え、調査に協力した、スポーツ選手の国際的な労働組合「World Players Association/世界選手会」の理事である山崎卓也弁護士に、改めて現状と解決策、さらにこれらの問題とスポーツビジネスとの関係について伺いました。


監督の体罰に「ありがとうございます」と言う親

――調査の結果、アンケート回答者*のうち、子どものときにスポーツ指導の場で身体的な虐待を直接的に経験したという人は半数以上。24歳以下に絞ると約2割が暴力を受けていました。報告書のタイトル『数えきれないほど叩かれて』は、23歳の現役・野球選手が中学生の時に監督から受けた暴力について語ったエピソードからの引用です。ほかにも性的虐待や言葉の暴力、まさに“数え切れない”指導という名の虐待を子どもが受けてきたことがわかります。国内外でスポーツ選手の人権を守る立場から、率直な感想を。また、注目すべき数字や回答は?

山崎弁護士(以下同):数字については、見聞きしていたことが裏づけされ、納得という印象です。一方で、では、他国と比べてスポーツ指導の場での暴力が日本は多いのか?というとそれは少し語弊があります。スポーツ先進国と言われる国も含め、どの国でも繰り返し、虐待は今も頻繁に起こっています。対策についても日本だけが遅れていて、ほかは素晴らしいのかというとそう単純ではありません。

ただ一つ、日本では「体罰は必要だ」と思っている人が多い。これは他国との違いと言ってもいいと思います。私が気になるのは、数字よりもむしろこの報告書の受け止められ方です。

現役のプロの選手の中にすら、「まぁ、でも体罰は必要だよね」と言う人が一定数はいます。

実際、日頃から「時代のせいで、表立ってはできないけれども、体罰は悪いことばかりではない」「体罰する人も一生懸命やっているわけだから」と言う人が少なからずいる。日本では特に指導者が一生懸命やっていることの象徴として位置づけられてしまっているんですね。

※注)インタビューは56人、オンラインアンケートは757人を対象に実施。回答者の年齢は10歳から73歳まで。また、オンラインアンケート757人のうち半数にあたる381人が24歳以下。オンラインアンケートの全回答者のうち、子どものときにスポーツをしていたなかで暴力を受けた人は425人と半数以上。24歳以下(アンケート回答者381人)では、19%がスポーツ活動中に殴打されるなどの暴力を受けたと回答した。

――今年、日本では子どもに対する体罰は禁止・違法となりました。これはスポーツにも適用されます。にも関わらず、そうした意識が根強い?

はい。約20年前に私がこの仕事を始めた頃は、暴力的指導は大人の選手に対しても日常茶飯事で“選手の人権”などと言っても鼻で笑われました。最近は、死亡事故や深刻な障害、PTSDなどスポーツ指導における暴力のさまざまな問題が明らかになっています。それでも、短期的な勝利の必要などから「口で言うより殴った方が早い。だから、体罰は必要だ」という意識がまだ残っている。それが一番危惧するところです。

――指導の際、言葉の暴力には比較的受容的な国でも、体罰には否定的だと報告書でも指摘されています。「体罰が必要だ」とは思わない。

子どもに向き合っている指導者ほど、体罰が必要だと思ってしまっているところがあり、その点でもやっかいです。手段として本当に間違っていないか?の検証をしないどころか、体罰を愛情として讃える文化すらある。

指導者による体罰を親が「(厳しく指導してくださって)ありがとうございます」と言ってしまったり。子ども自身も「自分のためを思ってしてくれているんだ」と思ってしまったり。でも、これは典型的な児童虐待の関係値です。虐待された側が陥る心理の罠なんですね。

加害者の処分はごくわずか

――暴力をふるった指導者に対する処分が、異様に少ないのも気になります。今回の調査結果では、加害者に処分があったのはわずか7%。実際、指導者の暴力によって半身不随にさせられたり、自死してしまった場合ですら、刑事はおろか民事訴訟でも不問に処されることが多いと。なぜですか?

「スポーツ界で行われていることを法律で杓子定規に測るべきではない(測れない)」といった考えがあるからです。

例えば、柔道で暴力的指導による死亡事故があったとすると、「柔道の正しい指導のあり方とは何か」が裁判の争点になる。こうなると「技をかけずに柔道の指導なんかできないじゃないか」と反論され、では、その技が適切であったかという非常に専門的な議論に持ち込まれてしまう。裁判官が適切に判断できる話しではないと、相手に逃げ込まれてしまう可能性があるわけです。

結果、不当に指導者が免責されてしまう。スポーツの社会的影響が大きくなり、徐々に見直されてはいますが、非常に不健全です。司法の場がもっと踏み込んで行かなくてはいけない部分です。

※注)オンラインアンケートの回答者で、子どものときにスポーツをしていたなかで暴力を受けたと答えた人のうち加害者に何らかの処分があったとしたのはわずか31人(7%)だった。

――処分について報告書の中でも戦慄したのは、性虐待の件です。ある著名な元プロサッカー選手が監督として女子選手を指導した際、10代の選手を含めて性虐待を行ない、有力な証拠もあった。にも関わらず、「元・一流選手だから」という理由で、他の指導者や選手が公表に反対。結果、指導者への忖度のために、当人は監督のライセンスを保持したまま、いまだに、よりによって小学生の指導を続けているという事例です。

性虐待もまた、訴えたとしても、「スポーツで指導する時に身体を触らざるを得ないんだから、セクハラじゃない」みたいなことに持ち込まれやすい。

「触る必要はない」ということや何がセクハラなのか、行き過ぎた指導もしくは正しい指導とは何かを競技団体などがもっと明確に打ち出す必要があります。

「あなたの基準では虐待じゃないかもしれないが、公式基準では違う」と裁判官も安心して審査の拠り所にできる基準、スポーツ庁のガイドラインなどの充実が求められます。すでにFIFA(国際サッカー連盟)は昨年「FIFA Guardians」というガイドラインを出し、何がセクハラなのかということは明確にしています。

――スポーツ指導の改革は、2013年から2019年にかけて、すでに国の主導で行われたはず。でも、暴力もセクハラも減った様子はありません。

その理由は実は単純で「価値観の共有」をしなかったからではないかと思います。価値観の共有とは、「何のために、この改革をするのか」という一番根っこの部分の確認です。事件としてスキャンダル化すると、目先の火消しに走りがちです。とにかく対処しましたよということで、「相談窓口を設立しました」とか「暴力撲滅宣言」など分かりやすい形で解決したことにしようとしてしまう。

これらも意味がないわけではありませんが、相談窓口を設置するにも、何のために作るのか。目的や価値観をスポーツ界全体でしっかり共有してから設置しなければ、窓口に行ってもよく知らない弁護士が出てくるだけで、「本当に解決する気があるのか・解決してくれるのか」ということにもなってしまいます。

※注)2012年に大阪市立桜宮高校のバスケ部員が指導者の暴力を苦に自死。続いて女子柔道の代表選手が監督からのパワハラを告発するなど事件が続出。オリビックの招致活動をしていた時期だったこともあって、「スポーツ界の未曾有の危機」として当時の文科大臣が改革に乗り出した。

罰則を作るにしても、何のために作るのか?

――体罰はダメというだけでなく、なぜいけないのか。そういった根本の理解、価値観の共有ということですね。報告書では、法律の整備や中立な立場で介入できる「日本セーフ・スポーツセンター」(仮)の設立も提案されています。

制度として罰則も機関も必要です。ハラスメントをした人の情報を共有し、指導者の資格を一時停止にする。他で指導できないようにするなどです。しかし、その罰則の裏にも必ずメッセージがなくてはいけない。

繰り返しになりますが、何のためにその罰則はあるのか?最終的に指導者を辞めさせるために罰則があるわけではなく、子供の福祉のためにあるというメッセージがなくてはいけない。このメッセージがないまま、罰則だけ厳しくしても、指導者が保身から余計に隠ぺいに走ったり、あるいは罰則自体が新たなハラスメントのようになり、いじめが繰り返される構造が続いてしまいます。

罰則だけを設け、「あんな指導をしているやつはダメだ」と言うだけでは、指導者側も「あいつとは話したくない」となってしまう。価値観を共有するための必要な対話ができなくなるからです。

――しかし、指導者と選手では権力差もあります。この両者での対話は難しいのでは?

対話を妨げる一番大きな要因は不安です。いわゆる縦社会の下の方にいる選手からすると、監督に楯突いたら競技人生を棒に振ってしまうかもしれない不安がある。一方で、上は上で結果が出せないことで「この業界を追われるのではないか」という不安がある。上も下も不安なんですね。だから、本音が言えない。

しかも、この不安を解消するのに、日本の縦社会は構造として非常に都合がいい。意見を聞かなくてすみますから。日本人はみんなそこにはまってしまっている。

特に、スポーツ団体の会長になっている人たちも元・選手だったりします。そういう人たちほど、会長の地位から降ろされたり、団体から追われるということを本当に恐れている人は多い。

若い頃からスポーツだけしてきて、そこでしか生きられなくなっているからです。不安だから、勢い権力的な姿勢で統治しようとしてしまう。こうした不安を上手に解消する試みをしている国はあります。

(後編につづく。さらに具体的な対策についてお話しいただきます)

山崎卓也(やまざき・たくや)

弁護士。Field-R法律事務所。プロ・アマチュアスポーツのコンサルティングや選手の契約法務・交渉を行うスポーツ法務、芸能人および各種コンテンツビジネスの著作権保護などを扱うエンターテインメント法務を専門とする。スポーツ仲裁裁判所(CAS)仲裁人、世界選手会(World Players Association)理事、国際プロサッカー選手会(FIFPro)のアジア・オセアニア支部代表。

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