明徳義塾では春夏4度の甲子園出場しU-18日本代表を経験も「自分には飛び抜けたものがなかった」
コロナ禍の影響で6月19日に開幕したプロ野球は、今シーズンの折り返しを迎えた。31日現在5位と苦しい戦いが続いているが、後半の巻き返しに期待がかかる埼玉西武ライオンズ。リーグ3連覇を狙うチームに、今年入団したルーキーを紹介していく。
第1回目は独立リーグ、四国アイランドリーグplusの徳島インディゴソックスからドラフト8位で入団した岸潤一郎外野手だ。高校時代は投手、打者としては中軸を担う二刀流の活躍で甲子園を沸かせたが、大学進学後は怪我に苦しみ一度野球から離れた経験を持つ。
高知・明徳義塾高では、春夏4度甲子園に出場し投打で活躍。3年時には岡本和真内野手(現・巨人)らとともにU-18日本代表にも選出されたが、プロ志望届は提出せず拓大に進学した。しかし入学後は怪我に悩まされ、3年時に野球部を退部。大学も中退した。
「同級生に岡本や安樂(現・楽天)がいて、岡本のパワーや安樂のストレートの速さが自分には足りていないと感じました。自分には飛び抜けたものがなかった。なので、投手としても、野手としてもレベルアップするために大学に進みました。同級生がプロで活躍している姿は『すごいなぁ』と見ていました。自分もいつか同じ舞台でプレーしたいと思っていたけれど、怪我をしてリハビリが全然上手くいかなかった。もう野球から完全に離れたいと思い、大学も辞めました」
家族は野球を続けてほしいと願ったが、決意は固かった。辞めてからのことは、何一つ考えていなかった。「何とかなるだろう……」。そんな気持ちで過ごしていた時、転機が訪れた。
子どもたちの野球教室に参加し「野球っていいな」
「子どもたちとの野球教室に参加する機会があって、そこで『野球っていいな』と改めて感じ、再びNPBを目指すことを決めました。この2年間はNPBに行くことだけを考えていました。2年で行けなければ、きっぱり野球を辞めるつもりでした。辞めた後のこととかも考えず、とにかく必死でした」
徳島インディゴソックスにはトライアウトを受け入団。甲子園で活躍したというプライドを捨て、うどん店や居酒屋でアルバイトをしながら再起を目指した。自身の武器でもあるスピードを磨き、18年には盗塁王を獲得。そして、最後の挑戦と決めて臨んだドラフトで、西武から8位指名を勝ち取った。支配下最後の74番目だった。
「7位で同じ徳島の上間が呼ばれて、続けて徳島からはないだろうと思っていたので諦めていました。『育成でもいいからどこかお願い、頼む』という気持ちでいたので、名前を呼ばれたときはびっくりしました」
7月5日の本拠地対オリックス戦で1軍デビューを果たしたが出場は3試合に留まり、25日に抹消。プロのレベルの高さを痛感し、再びファームで汗を流している。
「バッティング練習から打球の飛び方が違う。レベルが違うとかそういう次元じゃないくらい違います。いろいろ話を聞いて、しっかり勉強させてもらっています。自分のスピードを生かしつつ、全体的なレベルアップをしていきたい。1軍のレギュラーで試合に出られるような選手になりたいです」
練習に励む中、ロッカーや食堂で、テレビから流れる甲子園交流試合を目にし、聖地で躍動した夏を思い出した。
「甲子園は自分が変われる場所だと思う」「諦めずにプロを目指してほしい」
「甲子園は自分が変われる場所だと思う。そこでアピールできれば、夢だったプロが一歩近くなる。自分にとっては、プロを目指す自信を与えてくれた場所でした」
憧れの世界を現実のものにする確かな手応えを掴んだが、思い通りにはいかなかった。それでも諦めずに挑戦し、夢を叶えた。今年は新型コロナウィルスの影響で、選抜、夏の選手権大会が中止になった。プロを目指す球児たちはアピールの場を失ったが、自身の存在がそんな球児たちの希望になれればと思っている。
「高校球児は、甲子園しか目指していない。ショックはすごく大きいと思うし、声とかかけられない。『この悔しさをバネに頑張れよ』って言われても『せやけど……』。みたいな感じだと思う。今年の大会で活躍して、プロに行けた選手もいたはず。簡単に言葉にはできないけど、それでも、諦めずにプロを目指してほしいと思っています」
U-18日本代表でともに戦った高橋光成投手とは、ずっと連絡を取り合っていた。道のりは異なるが、かつての仲間と再びチームメートになった。
「高校からすぐにプロに行けばよかったと思ったこともありました。でも今は後悔していません。選手としても、一人の人間としても成長することができました」
力強く話す23歳のルーキーは、ここまでの道のりが遠回りではなかったことを証明するため、プロの世界での活躍を誓う。(篠崎有理枝 / Yurie Shinozaki)