「カルーセルエルドラド」に感謝と再会誓う としまえんが閉園、94年の歴史に幕

回転木馬「カルーセルエルドラド」の前で行われたとしまえんの閉園セレモニー=31日夜、東京都練馬区

 東京練馬区の遊園地の「としまえん」が8月31日、94年の歴史に幕を下ろした。最後の営業となった園内は閉園を惜しむ家族連れやカップルなど多くの人で最後までにぎわった。同園のシンボルで世界最古級とされる回転木馬(メリーゴーラウンド)「カルーセルエルドラド」には別れと感謝、そして再会を望む声が寄せられた。 (共同通信=榎並秀嗣)

 ▽ 最終運転

 午後8時半過ぎから「カルーセルエルドラド」前の広場でファイナルセレモニーが始まった。

 運営会社の依田龍也代表取締役があいさつが終わった。すると、まばゆいばかりの輝きを放ちながら、無人の回転木馬がゆっくりと回り始めた。これが同園にある全ての遊具として最終となる運転だ。

 別れを惜しむかのように周囲をびっしりと埋め尽くした来園者から声が掛かる。

 「ありがとう」「楽しかった」「さみしいよ」「絶対にまた会おう」―。

 1分ほどで運転を終えると照明が落ちる。園を支え続けたスタッフたちがその周りを歩きながら、感謝の気持ちを伝え続けた。

 そして、午後9時。拍手と感謝を伝える声に包まれる中、1926年に営業を開始したとしまえんが正式に閉園した。

 夫婦で来ていた80代男性が目を潤ませながら、その様子を眺めていた。「子どものころから数え切れないほど来ていたからね。自分の子どもも連れてきたし。ここには良い思い出しかないよ」。少し寂しそうに、そう話してくれた。

閉園で明かりが消えた遊園地「としまえん」の回転木馬「カルーセルエルドラド」。大勢の人が名残惜しそうに記念撮影していた=31日夜、東京都練馬区

 ▽美術品を思わせる豪華な装飾で人気

 「カルーセルエルドラド」は1907年、ドイツの機械技師ヒューゴー・ハッセの手によって作られた。当時は「トロットワール・ルーラン(動く歩道)」と呼ばれていたという。ヒューゴーとともに欧州内を巡業して人気を集めていた。

 しかし、第1次世界大戦(1914年から18年)を前に欧州の社会情勢が悪化していたことを受けて、米ニューヨークの遊園地に渡った。ここで「カルーセルエルドラド」と呼ばれるようになる。カルーセルは「回転木馬」、エルドラドは「黄金郷」を意味している。

 名前の由来となったのが、「カルーセルエルドラド」の製造時に全盛だったアールヌーボー様式を取り入れた豪華な装飾。ゴンドラや木馬をはじめ、全てが手彫り。木馬は一頭ずつ表情が異なるなど精巧に作られており、まるで美術品のようだ。

 ニューヨーク・タイムズが「(遊園地の)王者的存在」と表現するほどニューヨーク市民に愛された。だが、経営難で遊園地が64年に閉鎖となったため、解体された。

 69年に倉庫に保管されていた「カルーセルエルドラド」をとしまえんが約1億円で購入した。日本行きが決まると、ニューヨークの新聞が大きく報じた。貨物船で日本に向けて出港する際には多くのニューヨーク市民が見送ったという。

 日本に到着後、塗装が剝がれるなどぼろぼろの状態だったことが分かった。そのため、約2年がかりで修復。71年4月に、としまえんでの運転を始めた。

 それから約半世紀もの間、数え切れない人に夢のような時間を提供し続けてきた。

閉園の日を迎えた遊園地「としまえん」で、回転木馬に乗る人たち=31日午前、東京都練馬区

 ▽今後は?

 跡地の大部分は東京都が買収して防災機能を備えた公園を整備する予定だ。

 そして、一部には人気映画「ハリー・ポッター」のシーンを体験できるテーマパーク「ワーナー ブラザース スタジオツアー東京 ―メイキング・オブ ハリー・ポッター」ができることも決まっている。テーマパークは2023年1月から6月に開業予定という。

 一方、「カルーセルエルドラド」の行方はまだ、決まっていない。同園は「移譲先の選定が本格化するのは閉園後になる。なので、まだ何も決定していない」としている。

 ただ、決まっていることはある。しばらくは倉庫で保管することと、いつ動かせる日が来ても良いようにに整備を続けるということだ。

 「カルーセルエルドラド」は2010年に日本人の生活に大きな影響を与えたとして「機械遺産」にも認定されている。認定団体である日本機械学会によると「動く状態で存在すること」を認定の条件にしているという。再び回転する姿を目にする日がやってくることを楽しみに待ちたい。

としまえんの閉園セレモニーを終え、来園者に手を振るスタッフら。後方は明かりが消えた「カルーセルエルドラド」

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