権力の圧力とメディアの決めつけに「抗う」 「ポスト安倍」政権誕生を前に考える

辞意を表明した安倍首相の記者会見を報じる東京・新宿のモニター=8月28日

 安倍晋三首相が8月28日、辞任を表明した。報道によれば、自民党は9月中に新総裁を選出し、臨時国会で首相指名を行い、新政権が発足する見通しらしい。9月中旬には立憲民主党と国民民主党の合流新党の結成大会も予定されている。

 これからしばらくは流動的な状況が続くのだろう。しかし、次にどういう状況がやってくるのか、ただ待っているのでは、「見たいものしか見ない」「言いたいことしか言わない」「やりたいことしかやらない」「不都合な指摘には耳を貸さない」といった現政権の悪弊が、新しい政権になっても繰り返されるだけだろう。

 そうならないためには、批判を受けとめない政権に、なお批判を続けることは必要だし、不当な事態に対する怒りを持ち続けることも必要だ。ただし、それだけでは、いいかげんうんざりする気持ちに襲われかねない。あるいは、熱意を示した一人の政治家に過剰な期待を抱く、といったことにもなりかねない。私たち一人一人が、ポジティブな足場を持ちながら、よりよい社会に向けて、自ら行動していけるためには、何が必要だろうか。(法政大学教授、国会パブリックビューイング代表=上西充子)

 ■映画「パブリック」が問うもの

 ここで紹介したい公開中の映画がある。エミリオ・エステベス監督の「パブリック 図書館の奇跡」だ。

 舞台は米オハイオ州シンシナティ市。凍死の危険に直面したホームレスたちが、閉館後の公共図書館に立てこもる騒動に、主人公である図書館員、スチュアート(監督自身が主演)が、不本意ながら巻き込まれていく様子を描く。平和的交渉で、事態の収拾を図ろうとする市警のビルに対し、市長選に立候補している郡検察官のデイヴィスは、図書館の監視室に乗り込み、早期制圧によって自らの手腕をアピールしようともくろむ。

『パブリック 図書館の奇跡』7/17(金)、ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国順次公開© EL CAMINO LLC. ALL RIGHTS RESERVED.配給:ロングライド

 映画の初めの方と最後に、「the public」と原題が映し出される。立てこもりの顚末(てんまつ)を見守る中で、「パブリック」とは何であるかを、見る者におのずと考えさせる(以下、ネタバレ全開のため、ご注意を)。

 「パブリック」を「公共」と訳し、日本人の感覚で「公共」を捉えると、この映画のテーマを見失う。

 公的な機関が場を作り、ルールを決め、利用者はそのルールに従う――そういうものが「パブリック」なのではない。

 同じ社会を共に生きる異なる事情を抱えた人々が、ままならぬ現状の中で、互いにどう折り合いを付けながら関わっていくか――。それが問われる場が、ここで言う「パブリック」だ。一人一人の行動のありようが、「パブリック」な場のありようを作っていく。映画は、そのことを群像劇によって描き出す。

 主人公スチュアートは、難しい判断を次々迫られる中、おろおろとしてしまう。おろおろと対処し、その中のある行動は手ひどいしっぺ返しをくらい、別の行動は相手に力を与える。迷いながら行動する姿は、私たちの等身大に近い。他の登場人物たちもそうだ。

 「体臭」を理由に図書館から利用者の退去を求めることは是か非か。冒頭、私たちには、図書館員が日常的に抱えている課題が示される。その後、スチュアートは、利用者のホームレスたちによる館内への立てこもりに巻き込まれる。

 市が用意した緊急用シェルターは満杯。図書館前ではホームレスの凍死者も発生していた。その現実を前に、人道的な配慮として一夜のフロア開放を求めるスチュアートに、館長のアンダーソンは、自分にはその権限はないと拒む。

 ホームレスたちはフロアの入り口にバリケードを築き、スチュアートは現場に残された職員として、監視室に詰めた市警のビルとの交渉窓口を担わされる。一方、検察官デイヴィスは、スチュアートを立てこもりの首謀者であるかのようにメディアに語り、メディアは彼を前科者の危険人物のように報じていく。押しつぶされそうな状況を主人公たちがどう覆していくかが見どころだ。

 ■「法と秩序」は絶対か

 検察官デイヴィスが繰り返すのは、「法と秩序」(Law and Order)。犯罪と闘ってきた自分が、市長になってこの街に法と秩序を取り戻すと選挙キャンペーンの中で語る。そしてこの騒動も、強行突入によって一晩で制圧しようと意気込む。

 それに抵抗するのは、図書館の開放を拒んでいたアンダーソン館長だ。

 「私は市民の情報の自由のために全人生をささげてきた。公共図書館はこの国の民主主義の最後の砦(とりで)だ。あんたらチンピラどもに戦場にさせてたまるか」。

 そう言い放つと、デイヴィスらが詰める図書館の監視室を出ていき、スチュアートとホームレスたちが立てこもるフロアへと向かう。警戒するホームレスたちを前に、館長はネクタイを外し、スチュアートが配達させたピザを手にとり、腰掛ける。

 アンダーソン館長が、姿勢を変えた背景に何があったのか。行動の基になったのは、ライブラリアン(librarian)としての職業的使命であり、「図書館の権利宣言」であっただろう。

 ライブラリアンを名乗り、職業的使命を忘れないのは、スチュアートや他の図書館員にも共通する。

 検察官デイヴィスはどうか。スチュアートを公共図書館の従業員(employee of the public library)と呼ぶ。「われわれの大切な施設を混乱に陥れている」人物とみなし、公的施設の従業員が、ルールに従わずに勝手な行動を取っている、と見ているのだ。

 この映画には、もう一人、自らの使命に従い、既存の秩序を超えて行動しようとする人物が登場する。市長選における検察官デイヴィスの対立候補、ブラッドリー牧師だ。ブラッドリーは図書館前の規制線で侵入を阻止する警察官に「通してくれ(I have to go through.)」と語る。立てこもるホームレスたちに応援物資を届けなければいけないのだ、と。ブラッドリー牧師の行動は神の教えに支えられたものだろう。

『パブリック 図書館の奇跡』7/17(金)、ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国順次公開© EL CAMINO LLC. ALL RIGHTS RESERVED.配給:ロングライド

 ■ポジティブな足場

 では、職業的な強固な理念も、信仰も持たない私たちが、既存の権威に立ち向かう際に依拠すべき足場はあるだろうか。

 押しつぶされそうな現実の中で、私たちがあきらめないためには、ポジティブな足場が必要だ。日本国憲法はその大事な足場だろう。ここでは映画の初めの方でさりげなく示された三つの言葉に目を留めたい。

 図書館員に調べものを問う利用者の「探してるんです(I’m looking…)」という声が響く館内に、三つの大きな垂れ幕がかかっている。「Open your mind. Read」「Feed your hope. Read」「Find your truth. Read」。図書館利用の勧めの言葉であるとともに、映画を読み解く補助線となっている。

 首謀者であるかのように報じられた図書館員スチュアートは、同じアパートメントに住むアンジェラから、立てこもり現場の様子を動画に撮って送るよう求められる。内部で起きていることをテレビに伝えさせて市民を味方に付けようというのだ。

 スチュアートは、スマホのカメラをホームレスたちに向ける中で、顔と名前は知っていた彼らの姿にもう一歩、近づいていく。

 路上生活を脱出したいかと問うスチュアート。立てこもりの首謀者ジャクソンは、路上ならではの自由もあるさとつぶやき、伏し目がちになる。その様子を見て、スチュアートは、ジャクソンの隣に静かに腰掛ける。そのスチュアートに対し、ジャクソンは「俺たちの存在を世に知らせたい(We still matter.)」とつぶやき、「声をあげろ(Make some noise.)」と気持ちを高揚させていく。眼鏡をはずして耳を傾けていたスチュアートは、あわてて眼鏡をかけ、その様子を動画に収める。

 ジャクソンの「心の声」を引き出したのはスチュアートであり、スチュアートの行動を促したのはアンジェラだ。

 スチュアートが、アンジェラと出会ったのは自室の壊れたヒーターの前。金づちでたたいて何とかしようとしていた管理人のアンジェラに、持ち帰ったピザを勧めたスチュアートの行動が、語り合いにつながった。

 2人が互いの弱さを開示し合えたのは、アンジェラがアルコール依存症者の会に参加し、自らの弱さを語ることに慣れていたからだろう。心を開き、相手に関心を示し、語りに耳を傾ける――。そのことが相手を励まし、行動を促す。そうしたエンパワーメントの連鎖が、この映画には織り込まれている。

 ところが、そうして撮られた内部の映像に、実況アナウンサーは関心を示さず、「緊迫した現場と危険な図書館員」という筋書きで、視聴率を上げようとする。

 しかし実況中継で、立てこもりの文脈を問われたスチュアートは、ジョン・スタインベックの『怒りの葡萄』の一節を読み上げる。アナウンサーの意図をすり抜け、立てこもりの文脈を、アメリカの歴史の中に位置付けてみせたのだ。

 さらに、放送された図書館内部の映像には、疲れて横たわるホームレスの姿の他に、母親に向け、あいさつの言葉を笑顔で贈る首謀者ジャクソンの姿も残されていた。力を持つ者が描く「都合の良いストーリー」の枠内に押し込めず、事実を伝えようとする者の存在が、暗示される。

 この映画では、大きな権力の圧力や、メディアの決めつけに抗する一人一人の思いと行動が巧みに描かれている。

 最後の場面は、決してハッピーエンドではなく、しかし決して全面降伏でもない。スチュアートらは、完全制圧という成果を検察官デイヴィスに与えず、流血の事態を回避して状況を収束させ、立てこもり参加者の心に希望の種を残す。

 もちろん、これはフィクションだ。しかし大事なことは、そこから私たちが何をくみ取れるかだ。私たちにはそれぞれ、自分だからこそできること、すべきことがある。望む奇跡は誰かが起こしてくれるのを待っていれば訪れるわけではなく、私たち一人一人の行動の積み重ねの先にしか、起きない。

 最後に先ほどの三つの言葉を、この映画に即して意訳しておこう。

 ■心を開いて語りかけ、耳を傾けよう。

 ■目指す未来を描き、希望の種を育てよう。

 ■印象操作に釣られずに、事実を見つめ、広げよう。

 ◇ ◇ ◇

 「パブリック 図書館の奇跡」公式サイトは[longride.jp/public ](https://longride.jp/public/)

 2018年/アメリカ/英語/119分/スコープ/5.1ch/原題:The Public/日本語字幕:髙内朝子

 提供:バップ、ロングライド 配給:ロングライド

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