「いのちの輝き君」「コロシテ君」…気鋭のゾンビ学研究者語る、大阪・関西万博ロゴがバズるワケ

8月末に発表された、大阪・関西万博(2025年開催)のロゴマーク。デコボコした赤い輪に5つも目玉がついたように見えるこのマークに、衝撃を受けた人も多いのではないでしょうか。

コンセプトは「いのちの輝き」。でも、アニメや漫画のモンスターっぽいと指摘され、「コロシテ君」などの物騒なあだ名がついたり、ロゴを模したグッズが勝手に作られたりと、人々の心をつかんで離さないようです。

このロゴマークが話題になった理由について、アニメの聖地巡礼や、「ゾンビ学」の研究で知られる岡本健・近畿大学准教授(メディア・コンテンツ研究)に聞きました。


なぜこんなにバズったのか

―大阪万博のロゴとして登場した、一見モンスターのようにも見えるこの通称「いのちの輝き君」。ネット上ではTwitterを中心に、「アニメや漫画のあの怪物を思い出す」「コロシテ…」などと不思議な盛り上がりを見せました。万博のロゴとしては確かに尖ったデザインですが、なぜこんな奇妙なバズり方をしたのでしょうか。

岡本:特にTwitterのトレンドにもなった「コロシテ…」といったあだ名は、字面だけ見るとちょっとひどいですよね(笑)。「いのちの輝き」というロゴのコンセプトとも真逆ですし。

説明すると、昨今のいろいろなアニメや漫画では、人間の魂(や肉体)を本人の意に添わぬ形で合体させたモンスターがよく出てくるのです。人間の魂(意識)だけは残っていたりして、「こんな状態なら殺してくれ」と言ったりする。このテンプレのようなセリフを知らないと分かりづらいネタだったと思います。

ポン・デ・リングにも似ている?

―例えば、アニメ『鋼の錬金術師』に出てくる「人間の錬成に失敗してできた物体」や、『メイドインアビス』で登場する「人間の子どもから実験で生み出された」キャラなどが実際に関連して話題に上りました。このロゴのコンセプトには「細胞」もあるそうですが、たくさんの目玉が違う方向を向いているイメージに、多くの人が「悲劇の合成モンスター」を重ねたのですね。

岡本:はい、そうしたアニメや漫画、ゲームなどのサブカル作品(に出てくるキャラ)の最大公約数的なイメージです。Twitterなどを舞台に、サブカルが好きな人の間で大喜利状態になった訳です。

ただ、アニメ・漫画好きに受けただけならここまで話題にはならなかったでしょう。このロゴは、ミスタードーナツの「ポン・デ・リング」、東ハトの「キャラメルコーン」に似ていると言われるなど、一般の人にもわかるネタがあった。

サブカル好きだけではない広がり

「いのちの輝き君」は、サブカル好きだけでなく、いろんな人がいろんなネタで遊んだため、多くの言葉がTwitterのトレンド入りしました。多様なバックグラウンドを持つ人たちに受け入れられたのでしょう。

あと、「作為が無いように見える」ロゴだったのも大きかったと思います。どこまで(意識的に)仕掛けているのかは分かりませんが、ある種の「失敗した」キャラにも見えますよね。素人からすると「コレを万博を代表するマークにするのか……」と突っ込みたくなる。大阪流のボケのような感じすらしました。

ゆるキャラとの共通点

――確かに「不気味」などの批判もあったくらいですよね……。

岡本:この構造は、「ゆるキャラ」に似ています。ゆるキャラはもともと、自治体にいた「全く作為の無いキャラ」でした。そこにみうらじゅんさん(※「ゆるキャラ」の名付け親)が目を付けてどんどん掘り起こし、注目されるようになった。

岡本:今回のロゴも、そうした「ゆるキャラの再発見」に近い気がします。これも(王道を)外しちゃっているキャラな訳ですが、我々はこうした外しているモノの楽しみ方を既に知っている。

例えば、「ふなっしー」や「せんとくんも」明らかに(当時の人気キャラの)文脈からは外れていて、ぶっ飛んでいた訳です。今や、北海道北斗市の「ずーしーほっきー」(※ホッキ貝の握りずしに手足が生えている)や夕張市の「メロン熊」(※頭部がメロンと合成しているクマ)など、ゆるキャラも気持ち悪い、怖い方向で工夫し、外しにかかっている物が多くなりました。

特に、大阪万博というでっかい舞台で、この「いのちの輝き君」を取り上げた点は大きかったと思います。ゆるキャラはその地方の顔ですが、こちらはまさに「万国博覧会」の顔。普通は「世界から見て恥ずかしくない」モノにするでしょう。オリンピックなどがまさにそうで、無難なロゴに落ち着いてしまう。

パクリ騒動のあった東京五輪ロゴとの対比

一方で、あの2020年東京五輪のロゴの場合はすっきりしたデザインだったにも関わらず、例のパクリ騒動もあり、「裏ではドロドロした物がうごめいてそう」というイメージを持たれてしまった。こうした広告業界における「作為」や「巧妙さ」に対して、我々消費者は目が肥え、飽きてきているのだと思います。むしろ作為があるのが普通とすら思っている。

しかし、今回の「いのちの輝き君」はお高くとまっておらず、みんながてんでバラバラにいじりやすかった。こうした単純で遊びのあるコンテンツの方が、消費者から「僕らの側のモノやな」と思われ、支持されるのかもしれませんね。

■岡本健(おかもと・たけし)

1983年奈良県生まれ。近畿大学総合社会学部総合社会学科准教授。専門は観光学、観光社会学、コンテンツツーリズム学、メディア・コンテンツ研究。聖地巡礼研究や、ゾンビ系コンテンツを追究する「ゾンビ学」でも知られる。近著に『大学で学ぶゾンビ学』(扶桑社)、『メディア・コンテンツ・スタディーズ』(ナカニシヤ出版)など。

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