「雨森芳洲の肖像画」発見 所在不明3幅のうち1点か 朝鮮通信使縁地連絡協・松原理事長 オークションで入手

新たに発見され、対馬にもたらされた「雨森芳洲肖像」

 江戸時代中期の対馬藩で朝鮮外交に尽力した儒学者、雨森芳洲(あめのもりほうしゅう)(1668~1755年)の肖像画を発見したと、NPO法人「朝鮮通信使縁地連絡協議会」理事長の松原一征さん(75)=長崎県対馬市厳原町=が4日、発表した。2017年にユネスコ「世界の記憶」に登録された「朝鮮通信使に関する記録」の登録資料、雨森芳洲肖像との類似点が専門家の調査で複数判明しており、子孫が幕末に5幅あると書き残していたうち所在不明だった3幅のいずれかである可能性が指摘されている。

 対馬市文化交流・自然共生課によると、芳洲の肖像画は7代目の雨森家当主・二橘(にきつ)が「雨森家系」に5幅存在していたと記している。画仙紙と絵絹にそれぞれ描かれた2幅は幕末以後も雨森家に伝来し、現在は芳洲の生まれ故郷とされる滋賀県長浜市の顕彰団体「芳洲会」が所蔵(同市高月観音の里歴史民俗資料館が保管)。このうち画仙紙に描かれた1幅が世界の記憶登録資料となっている。
 今回発見された肖像画も画仙紙に描かれており、大きさは縦100.2センチ、横42.5センチとやや長いものの、同歴史民俗資料館の調査で登録資料と共通する「蘆江(ろこう)」「建柱(けんちゅう)」の落款印が押され、制作年は同じ18世紀とみられることが分かっている。この肖像画は京都市で5月末に開かれた古美術オークションで松原さんが個人として落札し、対馬に持ち帰った。
 同資料館学芸員の佐々木悦也さん(60)は電話取材に「顔のしわの描き方や肩の張り具合など、筆致が(登録資料の肖像画と)そっくり。芳洲先生ゆかりの対馬にも肖像画が渡ったことは喜ばしい」と祝福。
 松原さんは「肖像画は(対馬市が厳原町に来年開設予定の)朝鮮通信使資料館で寄託展示したい。互いに欺かず、争わず、真実をもって交わるという芳洲先生の『誠信交隣(せいしんこうりん)』の理念を青少年に学んでもらえたら」と話している。

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