『帰らなかった父』 谷口孝子さん えぷろん平和特集2020 #あちこちのすずさん

 私は国民学校1年、夏休みの真っ最中でした。母が昼食の準備を始めようとしていた時、空がピカッと光ったので、庭の隅の防空壕(ごう)に慌てて入りました。
 三菱重工業の設計技師をしていた父は防空壕掘りに出かけていました。「行って来るよ」とおにぎりを頬張って出ていった、それが私の見た父の最後の姿でした。父はその朝、市南部で掘っていた防空壕が完成し、北部の別の現場に行く途中の電車の中で被爆したのです。防空壕の完成が半日でも遅ければ、原爆で命を落とすことなどなかったでしょうに。
 松山近くの川にかかる橋の下で、たくさんの黒焦げの遺体の中から、父は発見されました。帰ってきたのは、真っ黒に焼けた父の防空頭巾だけでした。母は戦後、形見として長いこと押し入れの中に大事にしまっていました。幼い私にはなぜか、とても怖いものに感じられました。
 原爆投下から2週間後、私は家族と一緒に原爆の落ちた所を見に行きました。建物は一つもなく、黒焦げの飯ごうや熱で曲がった梅干しの瓶が転がっているのを見ました。電車も真っ黒に焦げて、跡形もありませんでした。
(長崎市・無職・82歳=長女鈴木智子さんが代筆)

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