えぷろん 平和特集2020 感想編 掲載作品23編に多くの反響 戦中戦後の苦労思いやる

「えぷろん平和特集」の掲載後、長崎新聞社に寄せられた感想文(一部)

 被爆・戦後75年の8月、3回にわたり展開した「えぷろん平和特集」(14、15、18日付)。本紙生活面の女性読者向け投稿欄「えぷろん」が、NHKなどのキャンペーン「#(ハッシュタグ)あちこちのすずさん」と連携しました。戦中戦後の暮らしの記憶、平和への思いなどをテーマに作品を募集し、計23編を掲載。小学生から80代までの読者から多くの反響が寄せられました。当時の苦労を思いやり、平和の大切さを再確認した皆さんの感想と、新たに届くなどした作品2編を紹介します。

◆ 涙で震えた
 戦争一色の生活や原爆の悲しい記憶、大陸からの引き揚げ…。特集で掲載した作品からは、さまざまな形で戦争に翻弄(ほんろう)され「二度と戦争は嫌」と、心から願う体験者の心情が伝わりました。戦中世代や親の体験をよく知る読者から、共感の声が多く寄せられました。
 長崎市の無職、山田明子さん(86)は「私の戦争」と題し、自身の体験をつづって感想に代えました。「あの大戦は国中、国民全員がひどい目に遭いました。この悲惨さを次の世代にも伝えなくてはならない」と、筆を執りました。
 「一つの文字も逃さず読みました。涙で体が震えます」としたのは、西彼長与町の大平せい子さん(78)。当時27歳の叔父がニューギニアで戦死しました。「お盆に実家に帰ると必ず、仏壇の引き出しに保管されている遺書を読みます。叔父が親戚、家族に宛てた書です。心中はいかばかりだったか、言葉が見つかりません。戦争は絶対したらいけません」

◆ 決意新たに
 直接の体験がない読者は、作品から当時の人々の心情に思いをはせ、平和への願いを共有しました。
 「何度も読み返しました。それぞれの戦中戦後、言葉では言い表せないほどのご苦労、胸に迫るものがありました」と長崎市の介護福祉士、濵崎利津子さん(62)。国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館(同市)で朗読ボランティアとして活動しており、「被爆者の体験を一人でも多くの人に聴いてもらい、平和への思いを伝えていきたい」と決意を新たにしました。
 長崎市の主婦、下田冷子さん(75)は「昭和20年生まれの私は戦争を知りません。周りは皆高齢で平和学習もままなりませんが、少しでも学べれば。残された人生もしっかり学んでいきます」と意欲的です。

◆ 共に生きる
 個別の作品への感想もありました。
 8月15日付の「大連からの引き揚げ」で筆者の山川和子さん(島原市)は、引き揚げ船内で、亡くなった子を海に投げ入れたある母親の姿を目にしました。長崎市の主婦、松澤君代さん(75)は以前、恩師から「引き揚げ船内で体調を崩した妹を母が海に葬った」と打ち明けられました。「先生はざんげの念を胸に、亡くなった妹さんと共に生きていた。特集を読んで『成すべきことを成す生活を』と言われている気がしました」とつづりました。
 野原滿子さん(長崎市)の「おさげのアイちゃん」(同14日付)は、永井隆博士と親しかった野原さんの母が被爆後、赤ちゃんの野原さんを連れて避難し、救護活動中の永井博士と再会したという内容でした。青森県出身で平戸市の民宿経営、里崎雪さん(54)は十数年前、本県へ移住した後に永井博士のことを知り、著作に触れました。「赤ちゃんの時に永井博士から優しいお言葉を受けたエピソードに心打たれました」と里崎さん。

◆ ありがとう
 若い世代も読んでくれました。
 長崎市の高校2年、田川美桜さん(16)は、夏休みの宿題のテーマにこの特集を選びました。「私の祖母は1940年生まれです。祖母と同じ年の方もいれば、母親や生後間もない人もいて、それぞれの当時の様子が語られていました。祖母が生きていてくれたから、今の私があるのだと思うと『ありがとう』の気持ちが込み上げてきました」と感想を寄せました。
 雲仙市の小学6年、寺田優衣さん(11)は「私の周りには戦争を体験したご存命の方はいません。テレビの(NHK特集番組)『#あちこちのすずさん』を見て、戦争の恐ろしさを改めて実感しました」と、かわいらしい文字でファクスを送ってくれました。「戦後100年の未来では戦争がなくなっているといいです」。実現に少しでも近付くため、これからも平和の大切さを伝える記事や特集を掲載していきます。

【お礼】「えぷろん平和特集2020」にたくさんの作品、感想をお寄せいただき、ありがとうございました。

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