本田恭章 80年代の軌跡、仙八先生の美少年からロックスターへ 1982年 5月25日 本田恭章のデビューシングル「0909させて」がリリースされた日

金八、新八、仙八、貫八… 夢中になった「2年B組仙八先生」

1979年にスタートした『3年B組金八先生』と『桜中学シリーズ』。金八、新八、金八(第二シリーズ)仙八、貫八… と続く中で、僕が一番夢中になって観ていたのが、1981年4月17日にスタートした、さとう宗幸主演の『2年B組仙八先生』だった。

放映開始当時僕は、背伸びしたくてたまらない中学1年。だから、2年B組のツッパリグループ、前川克也、森田すばる、黒部寿人(シブがき隊)の言動やファッションが気になっていたし、彼らのレイヤードのヘアスタイルが、当時すでに前近代的となりつつあるパンチパーマや剃り込みリーゼントのツッパリでないのにすごく共感が持てた(これはジャニーズのタレントがツッパリ役となる金八先生シリーズのお約束でもあるが…)。

また、後の尾崎豊的なストーリーの系譜である、金八先生第2シリーズの “腐ったミカン” のような重厚かつ繊細で普遍的なテーマともなる “十代の反抗” とは違った側面で、多くの同世代の視聴者に寄り添った日常的なスタンスの物語が多かったことも親しみやすかった要因かもしれない。

ナイフを隠し持つ美少年、上田夏彦(本田恭章)の登場!

しかし、そんなイメージも中盤、第24話「新しい先生、新しい友達」から激変してゆく。ナイフを隠し持つ美少年、上田夏彦(本田恭章)の登場だった。“寡黙な友達を作らない優等生” という印象だが、その影に潜むミステリアスな内面に、すごくロック的なものを感じたのを覚えている。

なぜ、ロック的か? これが今となってはすごく稚拙で中二病的な発想なのだが、影がある=ロック… という、そんな発想だ。僕も当時、音楽雑誌『ミュージック・ライフ』などを読み始め、ロックに興味を持ち始めた時期だった。僕の周りに同じような趣味の仲間は皆無で、理解者はいなかった。だから、ひっそりとその世界に浸りたかったというのもあったし、同時期に表紙を飾っていたデヴィッド・シルヴィアンのような “煌びやかさの中にある内省的な趣こそがロック” などと信じていた。そんなイメージをお茶の間に向けて体現していたのが本田恭章扮する上田夏彦だったのだ。

デビュー曲は「0909させて」、アルバムも高クオリティ

本田恭章が、JAPANの武道館コンサートに赴いた際に撮られた写真がデビューのきっかけとなったことは後になって知る話だが、仙八先生出演後にロックテイストの強いアイドルとしてデビューしたときは「自分の感覚は間違ってなかった」と、ちょっと嬉しく思ったものだ。アダム&ジ・アンツのようなパイレーツ・ファッションで登場したデビュー曲「0909させて(ワクワクさせて)」こそ、ロックテイストの強いディスコ調の楽曲だったが、このテイストだけで終わらなかったところが彼の凄いところだ。

その後、玉置浩二作曲の4枚目のシングル「サヨナラのSEXY BELL」をリリースした後、1983年12月1日にリリースされたアルバム『ANGEL OF GLASS』ではロンドンレコーディングを敢行、ハノイ・ロックスの面々がバックを務め話題になった。ニューロマンティックのキラキラ感に、ブルーアイド・ソウル的なうねりを垣間見せるダンサブルなナンバーをはじめ、退廃的なバラード、ハノイ・ロックスが十八番とするグラマラスな直球のロックンロールなどバラエティに富んだ音をバランスよく1枚にパック。まさに時代の最先端とも言うべき傑作アルバムを紡ぎだしている。

このアルバムのクオリティの高さが、彼のモチベーションになったかどうかは不明だが、その後も音楽活動を精力的に続け、バンドブームの最中の1987年には元TENSAWの鈴木享明らと、重厚なツインドラムを擁したThe TOYSを結成。バンドブームと囁かれる周囲の状況はどこ吹く風とばかりに、ロックに対して極めて生真面目に試行錯誤を重ねていく。そして現在も音楽から離れることなくバンドスタイルの活動も継続中だ。

アイドルからミュージシャンへ、音作りに没頭していった本田恭章

僕が仙八先生の中で見た、あの、ロック的な佇まいをした上田夏彦は、次々と自分のロックを具現化させ、今や本物の風格を醸し出すミュージシャンとなった。

僕は未だに「あれはロックだね」「これはロックじゃない」など、なんともいい加減なイメージだけの会話をすることが時たまある。では、“何がロックか?” それは十人十色の意見があるだろうし、大概は冗談で終わる話だ。そんななかで、僕が10代の時に感じた、日常に潜む何気ないロック的な佇まいがビジュアルとして、サウンドとして次々と具現化し深化していく… その様を見せてくれたのが本田恭章だった。そして彼が80年代に残した音源の数々は、時代を象徴する資料として非常に価値の高いものばかり。アイドルとしてデビューしながら試行錯誤を続け、音作りに没頭していった本田恭章の軌跡は、80年代を語るにあたり欠くことのできない事象であると断言しよう。

カタリベ: 本田隆

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