トレイシー・ウルマンとカースティ・マッコール、夢みるふたりの女性アーティスト 1983年 9月9日 トレイシー・ウルマンのシングル「夢みるトレイシー」がリリースされた日

トレイシー・ウルマンが歌う10代の恋、邦題は「夢みるトレイシー」

80年代にヒットした曲の中で、トレイシー・ウルマンの「夢みるトレイシー(They Don't Know)」は、飛び抜けて好きな曲のひとつだ。10代の女の子のひたむきな恋の歌で、友達からつきあいを反対されているところを見ると、おそらく相手は悪い男なのだろう。

でも、彼女は友達のそんなアドバイスには耳を貸さない。「だって、あの人たちはふたりのことをわかってないもの。本当の恋なんて知らないんだから」と言い切る。フィフティーズというよりはアーリーシックスティーズ風の甘酸っぱいメロディーとも相まって、本当にいい曲だと思う。

80年代は最新のサウンドとは別のところで、レトロな雰囲気の音楽やファッションも人気があった。そこにトレイシーの表情豊かで愛嬌たっぷりなキャラクターが、ぴったりとはまったのだろう。ミュージックビデオは、歌詞の内容に沿ったストーリー仕立てで、相手の男はポールという名前なのだが、最後のシーンで登場するのがなんとポール・マッカートニーというのもまたすごかった。

オリジナルはカースティ・マッコール、原題は「ゼイ・ドント・ノウ」

ただ、この曲を「夢みるトレイシー」と呼ぶのは、あまりフェアじゃない気がする。というのも、この曲のオリジナルは、カースティ・マッコールが1979年にリリースしたデビュー曲だからだ。そのときには「夢みるトレイシー」という邦題など付いているはずもなく、完全な後付けである。

カースティ・マッコールは、80年代から90年代のイギリスを代表する女性アーティストのひとりだ。裏方にまわる機会も多かったことから、ヒット曲の数はそこそこかもしれないが、その才能の輝きは他を圧倒してあまりあるものだった。

カースティとトレイシーは、ともに1959年12月生まれの同世代で、ふたりともパンク系のレーベルとして知られるスティッフ・レコードからデビューを果たしている。

カースティのヴァージョンはバンドテイストな仕上がりで、少し斜に構えた歌声も魅力的だったが、ヒットするまでには至らなかった。その4年後、時代の空気をうまく取り入れたトレイシーのカラフルなヴァージョンが、全英2位・全米8位の大ヒットを記録することになる。

そして、これにはカースティもコーラスで参加しているというから面白い。カースティはアルバムにも曲を提供しており、ふたりのこうした関係はトレイシーがイギリスを去るまでつづいた。

同世代のふたりの女性アーティスト、ひときわ輝いた瞬間の記録

その後、トレイシーはアメリカへ渡り、コメディエンヌとして世界的な成功を収める。とりわけ1987年にスタートしたコメディー番組『トレイシー・ウルマン・ショー』は大変な人気を博し、今では誰もが知っているアニメーション『ザ・シンプソンズ』もこの番組の1コーナーから始まったというのだから、その影響力の大きさが窺い知れるだろう。

そして、カースティも同じ時期にザ・ポーグスと共演した「ニューヨークの夢(Fairytale of New York)」が、全英2位の大ヒットを記録。今ではイギリスでもっとも愛されているクリスマスソングと称されるほどの、堂々たるスタンダードナンバーだ。

そんなふたりにとって、この曲はひとつの通過点に過ぎないのかもしれない。でも、けっして忘れることのできない大きな通過点だったはずだ。トレイシーもカースティも、この曲のヒットをきっかけに新たなチャンスをつかみ、自分の夢みた世界に近づくことができたのだから。

「夢みるトレイシー(They Don't Know)」は、同世代のふたりの女性アーティストの人生が交わり、ひときわ輝いた瞬間の記録でもあるのだ。

※2017年10月25日に掲載された記事のタイトルと見出しを変更

カタリベ: 宮井章裕

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