「田澤ルール」の通称に縛られた右腕の12年間 恩師の言葉に見せた笑顔の理由

BC埼玉武蔵・田澤純一【写真:荒川祐史】

間違いではなかった米球界挑戦「調子に乗って言ったわけじゃない」

12年に及ぶ呪縛が、ようやく解けた。7日、日本野球機構(NPB)と12球団によるプロ野球実行委員会は、ドラフト指名を拒否して海外プロリーグと契約した選手との契約を制限する申し合わせ、いわゆる「田澤ルール」を撤廃し、今後は同様の規定は作らないと決めた。

このルールが「田澤ルール」と呼ばれるようになったのは、2008年にルールが誕生した経緯にある。この年、社会人野球の新日本石油ENEOS(現ENEOS)でエースだった右腕は、都市対抗野球で橋戸賞を受賞するなどの活躍を見せ、同年のドラフト指名上位候補とされていた。だが、ドラフトを約1か月後に控えた9月11日に記者会見を開き、米球界への挑戦を表明。NPB12球団にドラフト指名を見送るよう申し入れた。

これを受け、人材流出に危機感を抱いたNPB側はドラフトを拒否した選手との契約を制限すると申し合わせ、ドラフト指名を拒否して海外プロリーグと契約した選手は、帰国しても高卒選手は3年、大学・社会人出身選手は2年、NPB球団とは契約できないという“ペナルティ”を設定。この取り決めができるきっかけとなった田澤にちなみ、一連の出来事は「田澤問題」、申し合わせは「田澤ルール」という名前で報じられてきた。

当時、日米球界の間には互いのドラフト候補選手とは交渉しないという“紳士協定”があったとされるが、明文化されたルールはなかった。「米球界で投げてみたい」という自分の夢に従った田澤はレッドソックスと契約。だが実際は、前例のない道を歩み始めた田澤を応援する声よりも、日本を捨てて米国を選んだと否定的な見方をする声の方が多かった。NPBを経ずに海外プロチームと契約する選手に対する“ペナルティ”が「田澤ルール」と呼ばれたことも、否定的な声を後押しする役目を果たしていただろう。

ルール撤廃の決定を受け、8日に記者対応した田澤は「メジャー挑戦は間違いではなかったか」と問われると、キッパリとした口調で「そうですね」と答えた。

「勘違いされがちだと思うんですけど、(米球界挑戦は)調子に乗って言ったわけじゃなくて、僕の野球人生において自分がどう成長するかっていうことを考えてアメリカを選んだ。そこを勘違いされていなければいいと思います」

そんな想いとは裏腹に「田澤ルール」が生まれ、勘違いされることもあった。田澤は当時の心境について「ちょっと残念だったかなと思います」と振り返り、「自分の次に続く人たちが出た時に、それ(ルール)が障害になってしまうのがちょっと嫌だったので。昨日の撤廃っていうのは、素直にうれしかったです」と続けた。

ENEOS大久保監督の言葉「田澤ルールじゃなくて、大久保ルールの方がよかったよな」

この12年間、田澤の「田澤ルール」に対する姿勢は変わらない。ルールができるきっかけとなったのは自分だし、ペナルティを知った上でレッドソックスと契約したのだから、日本でプレーすることになればルールに従う覚悟だった。だが、自分の後に続く選手たちにとって障害となり得るルールが生まれてしまったことだけ、心が痛んだ。

今回の決定により、NPB12球団は今秋のドラフトで田澤を指名することが可能になり、田澤はNPBでのプレーが可能となった。自身の選択肢が広がったことに「素直にうれしいですし、周りの人に感謝したいと思います」と答えた34歳右腕は、同時にアマチュアから海外を直接目指したい後輩たちにとって「ルールが障害にならなくなったこと、そこが本当にうれしい」と笑顔。さらに、2018年にパナソニックから米ダイヤモンドバックス入りを決めた吉川峻平を“田澤ルール2号”と呼び、「彼に対してもよかったと思います」と安堵した。

菊池雄星(現マリナーズ)しかり、大谷翔平(現エンゼルス)しかり、アマチュアから直接米球界を目指したいという選手が現れると、そのたびに世間を賑わせた「田澤ルール」という言葉。田澤はこれまでたびたび「う~ん、決していい意味では使われませんよね」と苦笑いでやり過ごしてきたが、12年間も自分の名前がペナルティの通称として使われて、気分がいい人は誰もいないだろう。

ルール撤廃のニュースが報じられると、恩師、友人、知人ら数多くの人たちから連絡を受けた。その中の1人が、社会人時代の恩師であり、渡米後も帰国後も気に掛けてくれているENEOSの大久保秀昭監督だった。教え子がNPBでもプレーできるようになった吉報を喜んだ大久保監督の言葉を、田澤は笑いながら紹介した。

「『田澤ルールじゃなくて、大久保ルールの方がよかったよな』って。僕も『できれば、そっちの方がよかったと思います』って伝えました(笑)」

田澤ルールが撤廃されたことは、田澤自身の選択肢、海外リーグでプレーしたいと願うアマチュア選手の選択肢を広げただけではなく、12年間「田澤ルール」という言葉に縛られてきた右腕の心が解き放たれたことも意味するのかもしれない。ルールの撤廃と合わせて「田澤ルール」という通称もなくなり、今後は同様の規定と合わせて同様の通称を作らないことを願いたい。(佐藤直子 / Naoko Sato)

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