新立憲民主党の本当の意味 「民主党再結集」は的外れ

By 尾中 香尚里

 立憲民主党(旧)と国民民主党、無所属議員らが合流して結党する新党の党名が「立憲民主党」(新)と決まり、初代代表に枝野幸男氏が選ばれた。党名も党首も維持されたということは、素直に考えれば「3年前に結党した立憲民主党(旧)の旗のもとに多くの野党議員が結集し、野党第1党として『政権の選択肢』たり得る規模に成長した」と意義づけてもいいだろう(枝野氏を含む当事者は全員が異を唱えるだろうが)。

 「結局は旧民主党の再結集」という冷ややかな声も聞こえる。本当にそうだろうか。結集した顔ぶれだけに気を取られると、今回の合流の本質を見失うのではないか。(ジャーナリスト=尾中香尚里)

新立憲民主党の初代代表に選出され、壇上で泉健太氏(右)と拍手に応える枝野幸男氏=10日午後、東京都内のホテル

 ▽対案提示から対立軸提示へ

 今回の新立憲民主党結党は、これまで長く続いた従来の野党像を大きく転換させる可能性がある。簡単に言えば「提案型政党」から「政権との対立軸を示す政党」への変容である。与野党対立の構図が「同じ方向性を持つ二大政治勢力が個別政策の良しあしを競う」から「明確な対立軸を持つ二大政治勢力が、目指すべき社会像の選択肢を示して競い合う」に移る、ということだ。

 やや抽象的な表現になってしまったので補足すると、新進党や民主党といった過去の野党第1党は「政権担当能力」を意識するあまり、政府案の検証や批判より「対案の提示」に重きを置いた。政府が提案する法案に対して対案を示し、それを一部でも政府側に採用させることで、自らの政策が優れていることを有権者に示す、というものだ。

 これに対し新立憲民主党は、新自由主義色を強め「自己責任」を強調する自公政権に対し、「支え合う共生社会」を掲げ、目指す社会の姿が全く異なる点を強調した。個別の政策ではなく「大きな社会像についての選択肢を提示する」ことに重きを置いたのだ。

 目指すべき社会像が違うのだから、その実現のために用意する体系的な政策パッケージも、必然的に異なってくる。実務的な法案を除けば、個別の政策で政府・与党と協調する局面は、おそらく少なくなるだろう。自公政権との距離は開き、対決色がより強まることも想定される。

1996年10月、初めて行われた小選挙区比例代表並立制の衆院選で投票する有権者

 ▽「二大政党論」が生んだ野党の変質

 こうした「対決型」の野党像は、永田町では長く嫌われてきた。「野党は批判ばかり」という言葉は、今でも野党に対するネガティブキャンペーンで使われることが多い。

 なぜそんなことになったのか。少し歴史を振り返りたい。

 小選挙区比例代表並立制が導入された1990年代半ば、政界では「政権交代可能な二大政党制」を確立する必要性が、声高に叫ばれていた。小選挙区制は、80年代後半以降に自民党内で頻発した「政治とカネ」問題への反省から導入された。それは結果として、中小の野党に対し、選挙制度に合わせた大規模化を迫る形になった。

 当時繰り返し叫ばれていたのが「保守二大政党論」。東西冷戦が終結し、社会主義が大きく後退した時代背景もあり、55年体制で野党第1党だった社会党(当時)などのリベラル勢力は政治の片隅に追いやられた。

 「新しい野党第1党」は、内外から「保守二大政党の一翼を担う」ことを内外から求められ続けた。一つの党が長く政権を担うと腐敗が進むから、金魚鉢の水を入れ替えるように時々政権を入れ替えることが必要だ、という「金魚鉢理論」も幅をきかせた。

 「批判するなら対案を出せ」。野党にはこうした声も投げつけられた。それが「政権担当能力」を示す証のごとく扱われた。実際、野党側は対案をせっせと政府側に突きつけ、政策立案の力量を競おうとした。小泉政権時代に民主党の前原誠司代表が掲げた「改革競争」が、その良い例である。

 「自民党とは違う『目指すべき社会』の形を示す」ことは、野党の役割としてほとんど顧みられなかった。民主党、のちの民進党のリベラル派議員の一部には「対立軸の構築」を模索する向きもあったが、多くの場合「万年野党的」というレッテルを貼られ、疎んじられた。

 批判ばかりの野党と言われたくない。政権担当能力を示すためには、現政権に批判的なリベラル派の存在は邪魔である。そんな空気が長く永田町を支配していた。

記者会見で国政新党「希望の党」立ち上げと、代表就任を表明した東京都の小池百合子知事=17年9月25日、東京都庁

 ▽希望の党騒動が明確にしたこと

 この流れが逆転するきっかけとなったのが、2017年の「希望の党騒動」と、それに伴う立憲民主党(旧)の結党だった。希望の党の小池百合子代表(東京都知事)に「排除」されたリベラル派に対する有権者の「判官びいき」的心情があったとしても、「排除された」側の立憲民主党が希望の党を抑え野党第1党になったことは、永田町を驚かせた。

 一方、希望の党の後継政党的な位置づけで18年に結党した国民民主党は、かつての民主、民進党の流れをくんだ「提案型政党」であろうとした。リベラル系が多い立憲民主党(旧)との差別化を図り「野党の中核としてふさわしいのは国民民主党」とアピールする狙いもあったのかもしれない。

 希望の党騒動で立憲民主、国民民主の二つの政党が生まれたことは、期せずして「対決型か提案型か」という野党内対立軸を、明確な形で示すことになった。

 そして昨夏の参院選。立憲民主が議席をほぼ倍増させたのに対し、国民民主は伸び悩んだ。立憲民主が名実ともに「野党の中核」と認知され始めた中で、昨秋の臨時国会から野党の統一会派が結成されると、「桜を見る会」問題の追及以降、与野党の圧倒的な議席差を感じさせない成果を生み出し始めた。安倍政権が野党の提案(一律10万円の定額給付金)を盛り込むため、一度閣議決定した本年度第1次補正予算案を出し直したことや、検察庁法改正案を事実上廃案にしたことは、筆者も驚いた。

 安倍政権が長期にわたり続いた理由に「野党の弱さ」をあげつらう向きは今もある。だが、少なくとも直近の1年に関して言えば、その批判は当たらないだろう。

 安倍政権の支持率の上昇や下落が「国会が開いているかどうか」に一定の影響を受けたことは、野党が国会で指摘してきた政権の問題点が、国民に一定程度届いていたことの証左だ。行き詰まったのは野党の側ではなく、安倍政権の方だったのは、今となっては明らかだろう。野党の支持率が上がらないことだけに着目していては、現状を見誤るのではないか。

新型コロナウイルス感染症対策本部の会合で緊急事態を宣言する安倍首相=4月7日、首相官邸

 ▽個別政策で対案を作るだけでは…

 歴代の野党第1党から国民民主党に受け継がれてきた「提案型」路線は、野党の中核の路線ではなくなった。「転機」はどこにあったのか。あえて言うなら、11年の東日本大震災と、今年の新型コロナウイルスの感染拡大だったのではないだろうか。

 社会のありようを根底から覆しかねない、価値観を大きく揺るがすような事象に直面する中で、「本当に『この道しかない』のか。他に進むべき道、目指すべき新しい社会があるのではないか」という問いを、人々は求め始めたのではないか。

 個々の政府の提案に対してより良い「対案」を提示し、政府案に影響を与えることが全く必要でないとは、筆者も思わない。今回のコロナ禍では、政府がまっとうな施策を講じられない状況下で、野党側の提案が取り入れられた例も実際にあった。だが、それが野党の「本業」だと過大に考えてはいけないと思う。

 そもそも、野党が個別の政策提案をいくら行っても、その背景にある理念や、目指すべき社会像が明確でなければ、その提案を使ってどんな社会を作りたいのかが有権者に見えず、支持をして良いのか悪いのかわからない。

 例えば消費減税。今や与野党の各方面から消費減税を求める声が多数上がっているが、主張する政党や政治家によって、その政策の持つ意味は変わる。

 最左派の人は「貧困層の家計を楽にする政策」と考えているかもしれない。新自由主義を標榜する人には「多額の消費をする富裕層に恩恵を与え、トリクルダウンを起こすための政策」と思っているかもしれない。特定の個別政策で対立軸を作ることは、意味がないのだ。

 逆に、例えば7月の東京都知事選では、消費減税に対し主張が全く違う人たちが、同じ候補をそろって応援した。目指すべき社会像が一致していれば、それを実現するための個別政策は、後からいくらでも議論できる。困っている中間層の減収対策として、消費減税と給付金の支払いのどちらを選ぶか、といった方法論は、党内で激しく意見を戦わせれば良いのだ。

新党の立憲民主党代表に選出され、記者会見する枝野幸男氏=10日午後、東京都内のホテル

 ▽「目指す社会像」の提示こそ

 本来の「提案型野党」とは、政府の用意した土俵に乗って、細かい修正案的な「対案」を提示して政府に採用してもらうことではない。目指す社会像に基づいた大きく体系的な政策パッケージを用意した上で、政権交代によって「自分たちの手でやり遂げる」と訴えることだと、筆者は考える。

 例えば、政権側が憲法改正という課題を設定し「野党は対案を出せ」と言われたら、それに応えることばかりが提案型野党の役割ではない。「政権は憲法改正すべきだというが、それより原発ゼロを急ぐべきだ」と返す。アジェンダ設定そのものの「対案」を提示する。それこそが本来の「提案型野党」だろう。

 合流新党の代表選に出馬した国民民主党出身の泉健太氏が、自ら新党の綱領作成の中核を担った上で、「提案型」について「与党に対してではなく国民に対して提案するのだ」と新たな意義づけを与えたことは、ある意味象徴的な場面だった。

 言わずもがなのことだが、新しい立憲民主党は「対決型」「批判ばかり」との外野のやゆを恐れてはいけない。現政権の問題点を鋭く指摘し、違いを示すことすらできずに、野党の存在意義を示すことはできない。国会論戦などを通じて立場の違いを十分に示した上で、現政権とは異なる「その先の未来」の社会像を、しっかりと描く。それこそが新たな「提案型野党」の形である。

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