コロナ禍における新たな国家観と社会像 (衆議院議員・中谷一馬)

新自由主義と非科学的な意思決定の限界

新型コロナウイルスの感染拡大は、世界各国にとって共通の脅威であり、人々の意識を「コロナ問題」という一点に集中させている現状があります。コロナ禍が社会を壊したというよりも、コロナ禍によって、すでに壊れていた社会の歪みが 顕在化され、さまざまな矛盾を炙り出しました。

新自由主義は非正規労働者や派遣労働者を大量に生み出し、労働力需給を調整することで、 人件費・固定費を抑えてきました。その結果、格差は大きく開き、大多数の国民にとって有益 に機能していない事実が如実に表れ、国民生活がどんどんと疲弊していきました。

一方で民主主義も、政治の実権が既得権益集団の権謀術数に握られつつあり、社会の変化に適切に対応できていない状況が顕著になっています。社会のセーフティーネットは、必要とする人に十分な期間、適切な安心感を与えられるように整備されておらず、グローバル化の恩恵 を享受していたはずの中間層も貧困層に引きずり込まれています。生活水準も子どもの教育水準も下がり、社会全体が厳しい状況を迎えていることは各種のデータからも明らかです。

こうした危機的な状況にあるにもかかわらず、アベノマスクやGoToキャンペーンに代表されるような非科学的な意思決定を続け、国民生活の改善を図る政策を実行しない政府に対して多くの国民が怒りを持っています。

今までの政策決定は、エビデンスに基づいて客観的に最適解を分析して行った判断というよりは、AでもBでもCでも、意思決定権者が「こうだ」と言った選択肢をなんとか正解にするために、全力で組織のリソースをそれに注ぐようなことが常態化されてきました。

こうした政府の状態は大変残念ですが、嘆いていても変わりませんので、どのようにして良い変化を促すかという姿勢が極めて重要です。

私は国会議員の立場として、まずは国や自治体が自分達の保有するデータをオープンに透明化して公開し、国民が客観的に政策の妥当性を分析できるようにすることで、EBPM(証拠に基づく政策立案)を発展させることに尽力したいと考えています。

シビックテックを活用する台湾の事例

ちなみに台湾では、オープンガバメントを目指した政府・行政のデジタル化が進んでいる現実があります。

例を挙げれば、台湾政府が 「Join」というプラットフォームを採用し、政府への提案や質問に対して、5000票以上を 集めると管轄省庁がアクションし、回答する義務が発生するという運営を行っています。このサイトでは、政策のモニタリングに加え、設定され たKPI(成果指標)の進捗 が公開され、達成度合いが確認できます。

また、「v台湾 (vTaiwan)」というプラットフォームでは 、リアル・オンライン両方の場を組み合わせ 、ハイブリッド型で透明性が担保された場を作り、官民協働で法規制に対する議論を行い、合意形成を目指すという、国民が立法プロセスに参加する取り組みが進んでいます。

議論の中では、提案に至ったプロセスで用いたデータやアウトプットを公開し、透明性 を担保するとともに、参加を促進するためにマインドマッピングで各々の意見を可視化し、意見収集などを多様なツールで用途に応じて行うなど、お互いの現状を踏まえながら、どうすれば合意形成ができるのか、情報を公開しながら立法プロセスを進めるという画期的な取り組みを進めています。

こうした国民と政府の距離をリアルタイムで縮め、民主主義をアップデートさせるシビックテック的な発想は、国民、行政府・立法府の相互理解を深めると同時に、その集合知の活用は、国民国家に必要な政策立案に寄与すると考えますので、コロナ禍の有事などにおいてはとくに 意識して発展させるべきです。

安全と人権のトレードオフを乗り越える両立

しかしながら、このようなシビックテック的な発想とは裏腹に、コロナ禍の動乱においては、 独裁とリーダーシップを履き違えるような言論も散見されました。コロナ禍では、強権主義国家が優位性を示したと喧伝されましたが、強権・独裁のリスクは、深刻な人権侵害に加え、時の権力者による過誤がダイレクトに国民国家の行く末を左右することです。

そして国民が有事のみと考えていた例外的な権力強化が恒常化され、平時まで援用されたならば、健全な民主主義の概念が根底から覆ります。たとえば中国では、「天網」というAIを用いた数億台の監視カメラを中心とするコンピュータネットワークが構築され社会秩序を保っていますが、自由な日本で育った私には政府の強い監視下で生活をすることに強い抵抗感があります。

ドイツのメルケル首相が「自由が苦労して勝ち取った権利であるという私のようなものにとっては、制限は絶対的に必要な場合のみ正当化されるもの」と述べましたが、多様な考え方に 寛容で自由な選択ができる民主主義国家にとって、基本的人権を制限、管理するという政策は 非常に重い決定です。

一般的に、管理による安全と自由・幸福追求などの基本的人権はトレードオフの関係にあると言われる中で、それらを両立させ、成果を出す施策が民主主義国家のリーダーには求められ ています。

コロナ禍においては、政府等からの外出・移動・営業などについての自粛要請により、個人の選択に著しく制限を課すものとなりましたが、制限するのであれば、補償を徹底することが 本来あるべき姿です。

 

利他的な行動が生み出す合理的自己利益

また、私たちが孫子の世代、 22世紀までを見据えた持続的な社会を望むのであれば、資本主義とグローバリゼーションの不完全さを理解した上で、利己的な意思決定から利他的な行動を行うことが、最善な合理的自己利益に繫がることを自覚する必要があります。

「自分ファースト」な行動は、残念ながら巡り巡って自分自身の首を絞めることとなります。

たとえばインフォデミック(真偽不明の情報が流布し、多くの人が真に受けてパニック状態 となった結果、社会全体に動揺が引き起こされる現象)により、感染拡大を防止するためのマスクやアルコールが不足するという情報が流れ、必要以上に買い占めを行う人々が増えたら、 必要な人に必要な物資が行き届かなくなります。

しかしながら、自らが感染の脅威にさらされないためには、周囲で誰も感染していない状態を保つことが必要ですから、他の人への感染拡大を確実に防ぎ、流行を抑えることが本来的には重要です。にもかかわらず、他人に必要な物資が行き届いていないので、感染が拡大してしまう。こうした負のスパイラルを未然に防ぐためには、利他的な行動が自己の利益を救います。

国家レベルでいえば、他国において感染が拡大していないことで経済が活性化し、自国の利益に繫がります。他人や他国、他のものを批判しても何も生まれません。自分自身はこの社会の中で何ができるのかということを考え、公共並びに連帯の重要性を認識した行動が極めて大切です。

そして政治の現場にいる者は、国民からの信頼を得られるクリーンでフェアでオープンな政治を目指さなくてはなりません。

たとえば、台湾ではデジタル担当のオードリー・タン大臣のリーダーシップにより、マスク不足の混乱を回避するための在庫マップを公開し、市民が安心してマスクを確保している現状が世界的に話題になりました。その一方で日本においては、緊急事態宣言を受けて日用品や食料品などに関して不足するとの情報が広がり、多くの国民が疑念を持つ状況となりました。これは、政府の信頼性が不足していたことに加え、旧時代的な情報発信しか行わなかったことに根本的な問題があります。

情報発信の改善策としては、サプライチェーンで企業が持つデータを標準化し、それをリアルタイムでアプリケーションへ落とし込んでいくことで、客観的に流通状況データが可視化された情報発信の仕組みを実装する必要があります。また次世代においては、こうした仕組みを スマートコントラクトを活用して進めることが非常に有用だと考えています。

私も国会議員として、こうしたコロナ禍における新たな国家観と社会像をしっかりと示し、実現に向いてその歩を進めて参ります。

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