九州乗りつぶしの旅~35年前と今

左が1985年7月号(交通公社版)、右が2020年9月号(JTB版)。「時刻表」の文字、本のサイズは同じだが、ページ数が766ページから960ページに増えている。

 【汐留鉄道倶楽部】1985年7月、大学生だった筆者は夏休みを利用して九州の国鉄全線乗りつぶしに挑戦した。それから35年。コロナ禍でもできる「机上旅行」で2020年版・九州のJR線完乗プランを立ててみた。

 日々の乗り継ぎの予定と実際の乗車記録を書いた当時のメモ帳をもとに、まずは35年前の旅を再現してみる。確認のため、東京・神保町の古書店で「国鉄監修 交通公社の時刻表」の85年7月号を千円(定価690円)で購入した。

 色あせた時刻表のページをめくりながら、メモと照らし合わせて旅の跡をたどる作業は実に楽しかったが、残念ながら車窓の記憶がよみがえることはなかった。その最大の理由は、昼間も夢うつつで列車に揺られていたからだろう。

 7月16日に東京を出発し、31日に帰京。15泊16日の旅で、そのうち13泊が“車中泊”。当時、門司港から西鹿児島(現鹿児島中央)まで、鹿児島本線経由で「かいもん」、日豊本線経由で「日南」の2本の夜行急行があり、「かいもん」で計9泊、「日南」で計4泊した。

 ブルートレインとして活躍した20系寝台客車も2両連結されていたが、筆者はもっぱら12系座席車のボックスシートがねぐら。これでは熟睡できるはずもなく、乗り合わせた人と酒を飲みながら語り合うこともあった。寝過ごして慌てて旅程を変更したこともあった。

 旅の1日はこんな感じだ。「日南」で日豊本線を南下して午前5時43分宮崎着。そこから延岡まで戻って高千穂線に乗車した。日南の延岡着は同4時7分。少しでも睡眠時間を増やすためにこんな乗り方をしたのだろう。

 高千穂峡を訪ね、バスで高森へ。高森線~豊肥本線と乗り継いでいったん熊本に出た後、急行「火の山7号」で豊肥本線を横断して大分着。そこから「にちりん32号」で日豊本線を北上、小倉発22時33分の「かいもん」で鹿児島本線を南下…。

 早朝から計画を消化し、夜行急行の座席を確保するために始発の門司港(小倉)か西鹿児島に向かう。宿代を節約するためとはいえ、こんな行ったり来たりの旅ができたのは「九州ワイド周遊券」(現在は廃止)のおかげでもある。

 九州内の国鉄全線と特急の自由席に乗車できて、東京発着の学割で21600円(当時)と格安。有効期間がたっぷり20日もあったため、乗りつぶしが目的ながら太宰府、柳川観光に1日、鹿児島では降灰の中、桜島観光に1日費やしたりしている。

 そして旅は14日目。甘木線、佐賀線から私鉄の島原鉄道にも足を伸ばして長崎へ。これで九州の国鉄全線完乗(周遊券の適用外だった山陽新幹線の小倉~博多間を除く)、と35年間ずっと思っていた。

 しかし念のため当時の時刻表の九州の路線図をコピーして乗車順に路線を塗りつぶしていったところ、2ルートある長崎本線の浦上~喜々津間のうち、非電化の旧線に乗車していないことが判明した。

 詰めの甘さを今さら嘆いても始まらない、というわけで「JTB時刻表」の2020年9月号による九州JR全線乗りつぶしの旅は、この未乗区間を“消す”ところからスタートしようと思う。

 2冊の時刻表の九州路線図を見比べると、スカスカになった筆者の地元・北海道とは異なり、さほど変わっていない印象を受ける。だが精査すると漆生線、宮之城線、佐賀線、志布志線、大隅線、山野線、上山田線、宮田線、高千穂線の9路線が廃止され、甘木線、高森線、松浦線、伊田線、糸田線、田川線、湯前線と鹿児島本線の八代~川内間が第3セクターに転換していた。

 一方で九州新幹線と宮崎空港線、博多南線が開業。机上旅行で「旅費度外視」の今回は、JR全線と第3セクター8路線の乗りつぶしに加え、クルーズトレイン「ななつ星」や「D&S列車」と呼ばれる観光列車も味わうことにした(もちろん空想ですが)。

(上)宮崎駅で撮影した急行「日南」。手前の優美な20系客車2両の後方が12系客車。当時、アパートの「お座敷暗室」で現像したモノクロのネガをスキャンしたもので画質はご容赦ください。(下)国鉄末期はこのような看板が各地で見られたと記憶している。志布志駅前で撮影。大隅線、志布志線は廃止、日南線は生き残った。

 9月×日。東京から前日のうちに門司港入りして1泊し、早朝5時2分発の普通列車で小倉へ。「きらめき1号」「かもめ5号」と乗り継いで9時27分に長崎入りし、11時11分発の普通列車で長崎本線を戻って旧線を踏破して“35年越し”の乗りつぶしが完結。

 さらに大村線で佐世保を目指し、松浦線から転換した松浦鉄道、そして佐世保線と乗って「みどり26号」で18時55分佐賀着。「かいもん」「日南」の夜行急行は姿を消して久しく、そのまま佐賀で1泊する。

 次の2日間は博多を拠点に九州北部を攻略。込み入った筑豊地区の乗りつぶしも、時刻表と首っ引きでうまくまとまった。その後は「ゆふいんの森」や「A列車で行こう」などの観光列車も盛り込みながら、少しずつ南下。8日目の宮崎空港線、日南線の乗車で、今回のプランの未乗線は日豊本線の宮崎~行橋間と九州新幹線、山陽新幹線の小倉~博多間、そして博多南線のみとなった。

 9日目は宮崎発5時54分の「にちりん2号」で出発。35年前の「にちりん」は小倉(一部は博多)までのロングランだったが、現在は大分止まり。大分から博多までは「ソニック」が接続している。

 今回は小倉で「ソニック16号」から「のぞみ3号」に乗り換え、博多では博多南線を往復し、博多発12時4分の九州新幹線「さくら549号」で13時41分鹿児島中央着。

 これで乗りつぶし旅は終了だが、博多まで戻って1泊し、「ななつ星」と「或る列車」のゴージャスな旅で締めくくることにしよう。(ちなみに、ななつ星の今年春夏の旅行代金は、最も低料金の1泊2日のスイートでも1人30万円超の設定だったようで…)

 ところで、35年前の“うっかり”とは違う事情で、今回も「完乗」はできなかった。九大本線の豊後森~庄内間、肥薩線の八代~吉松間、くま川鉄道(JR湯前線から転換)は7月の豪雨で不通のまま。観光列車の「いさぶろう・しんぺい」なども通常のルートでは運行していない。

 わくわくした気持ちになれる空想旅行に、厳しい現実を突きつけられた格好だ。1日も早い復旧を願わずにはいられない。

 ☆藤戸浩一 共同通信社スポーツ特信部勤務

 ※汐留鉄道倶楽部は、鉄道好きの共同通信社の記者、カメラマンが書いたコラム、エッセーです。

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