関ヶ原駅 天下分け目じゃないけど複雑【木造駅舎巡礼01】東海道本線09

※2020年8月撮影

トップ画像は、JR東海東海道本線関ヶ原駅。

掛川駅12時18分発の浜松行で26分。12時44分浜松着。ここでお昼ご飯を食べて13時39分発の岐阜行に35分乗って豊橋駅で快速米原行に乗り換えて105分、16時17分関ヶ原駅に到着。

関ヶ原駅は島式ホーム2面4線、下り側の島式ホーム東京側の終端部から東京方面を見ています。実はこのホーム、単線の垂井線専用ホームなのです。

※2020年8月撮影

話が少し複雑ですが、JR東海東海道本線南荒尾信号場~関ヶ原駅間には垂井線(単線)という別線があります。本線と並行していますが線路等級が低く、貨物列車、特急列車は入線しません。下り本線は戦時中に勾配緩和・輸送力増強で敷設された迂回線(新垂井線)を通ります。

南荒尾信号場~関ヶ原駅間の上り本線と複線に見えるのはこの垂井線です。垂井線は基本的に下り線ですが、垂井駅付近の本線構造などから関ヶ原駅始発の上り普通列車は垂井線を通ります。上り本線と垂井線を走る上り列車が並走する可能性があるのです。

こちら側が垂井線ホーム1番線に入る線、下り普通列車が全て入線します。保線車両用側線があります。

※2020年8月撮影

同じ場所から大阪方面です。左が1番線、右が関ヶ原駅で折り返す上り列車専用の2番線。右の島式ホーム、左の3番線が下りの貨物列車・特急列車が通過する下り本線ホーム。4番線が大垣・名古屋方面なのです。

※2020年8月撮影

筆者が乗って来た快速米原行が1番線に停まっています。駅名標。

※2020年8月撮影

関ヶ原駅は、1883年(明治16年)開業。1895年(明治28年)東海道線(1909年/明治42年東海道本線に改称)所属になりました。東海道本線のこの勾配区間の歴史は複雑ですが割愛しています。上記の様に1944年(昭和19年)勾配緩和の下り専用線が敷設されます。旧下り線は、いったん撤去されますが、1946年(昭和21年)垂井線(単線)復活。1986年(昭和61年)までは戦時下に作られた勾配緩和の迂回線に新垂井駅がありましたが廃止され、全ての下り普通列車が垂井線を走る様になりました。

関ヶ原らしい大きな看板があります。

※2020年8月撮影

垂井線ホームから関ヶ原駅舎。跨線橋を渡って行きます。この後、大垣駅に戻るので重いキャスターバッグを担いで跨線橋の往復は辛かった・・・。暑いのです。

※2020年8月撮影

東海道本線用島式ホーム上の待合室、これがなかなか古そうです。(未詳)

※2020年8月撮影

跨線橋を越えて駅舎に来ました。

※2020年8月撮影

駅舎内、改修されていて普通の駅舎と変わりません。時計は16時半を指しています。

※2020年8月撮影

駅前、東側から駅舎。現行駅舎は昭和19年(1944年)に作られたものですがキレイに改修されています。

※2020年8月撮影

西日の強い時刻になってきました。西側からです。屋根はスレートかシングル葺きに見えました。

※2020年8月撮影

跨線橋側に「古戦場のまち関ヶ原」の大きな看板。徳川の「三つ葉葵」紋と石田三成の「大一大万大吉」が描かれています。

※2020年8月撮影

改めて駅舎正面のアップ。もう夕方なので木造駅舎ツアー1日目はこの駅で撮影終了としました。

※2020年8月撮影

駅舎内通路に鉄道唱歌の石碑がありました。

※2020年8月撮影

この日は、関ヶ原駅撮影終了後大垣駅まで戻って宿泊。

これが計画ミスでした。明朝は、東海道本線山崎駅を後回しにして山陽本線の曽根駅が最初の撮影です。神戸辺りに宿泊すれば朝が楽だったのです。でもかなり前に計画しビジネスホテルを予約してあったので(キャンセル料発生するし)大垣に一泊しました。

【木造駅舎巡礼01】東海道本線10 に続きます。

(写真・文章/住田至朗)

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