<南風>「大人」たちの大学

 受験シーズンである。と言いたいところだが、今の大学入試はもはや「季節限定メニュー」ではない。年明けすぐのセンター試験、二次試験はもちろん、これに先立って、推薦、社会人、帰国子女、私費外国人、AOなどの枠で入試が行われる。多様化する国公立大の入試には、受験生の多様な学習経験に対応しようとする文科省の意図が伺える。

 とりわけ興味深いのが「社会人入試」。そこには、大学が必ずしも高校卒業と同時に進む場所ではないという大学観が見えてくる。

 琉大で私が担当する英語関係の授業は、昼と夜の両方の時間帯に開講されるが、それはウチの専攻に「夜間主」という、午後6時以降の時間帯に組まれた教育課程があるからである。

 その夜間主学生として入学する社会人が大学受験に至る理由は実にさまざまだ。家の事情で高校卒業後すぐに就職したが、今ようやく大学に通える環境が整ったので、と言う30代の男性。やっと子育てが一段落したので、と言う女性。娘が無事に大学を卒業したので今度は自分の番だと思って、と言う60代の男性。基地内で働いているが、転職のために英語の教員免許を取得したくて、と言う20代後半の女性など。

 苦労してようやくたどり着いた大学教育。学ぶ意欲に満ちた「大人」の存在は、18歳人口が大半を占める教室に特別な空気感をもたらす。講義中、教室後方で若者たちが私語をしようものなら、「父」はくるりと振り返り、「静かに」と一喝する。圧倒的な世間知で世間知らずの教員をへこませる一方、自分より若い教員の授業も熱心に受けてくださる。

 教養は一生をかけた知的鍛錬の賜物(たももの)であり、学ぶのに遅すぎることは決してない。教育こそが真の財産であることを知る真の学生を前に、私は今日も緊張しながら教壇に立つのである。

(喜納育江、琉球大学ジェンダー協働推進室長)

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