麥田俊一の偏愛的モード私観 第20話「ミントデザインズ」

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「ミントデザインズ」2021年春夏コレクション(C)mintdesigns)

 怠惰に過ごした夏を悔やんでみても仕方がない。庭の虫の音にハッとさせられる新秋、久しく忘れていた呪いの言葉が蘇ってきた。先程より降り出した秋雨のお陰で余計にかそけくなる虫の声を聞くともなしに小夜更けるしじま。本来なら言語中枢(左大脳半球)に訴え掛けるリ~ンリ~ンと云う音も、今の私には只の雑音。無粋なまでに右脳が勝手にノイズとして処理してしまうのはちと哀しい。夏の間に進めるべき筈の仕事を打っ棄ったまま、自粛生活にかこつけて春本(凡て大正・昭和時代の地下発禁本)を読み漁る三昧境に只管耽っていたのだった。小夜更けて虫の声に苛まれ、阿呆、ここに極まれり。但し得た感慨は慙愧の念に勝るとも劣らなかった。

 荷風の名作『腕くらべ』の再読を契機に、ネットで購めた作者不明(ニセ本作者)の戯作『秘版・続 腕くらべ』よりドツボに嵌った。ヒロインの芸者駒代の後日譚(濃艶な閨房描写)となる短篇だが、その筆捌きは圧巻。往時のこの類の発禁本を読み進めて気付くのは、ホットパートの淫らさのみを誇張するものも少なくないが、色道の諸訳に通じた覆面作家たちの(名のある文筆家の、無名時代のアルバイトか、名を匿しての手すさびかと思わせる作品の何と多いことか)、その道に通暁した筆の冴えの見事なこと心憎いばかり。軽妙な筆致とストーリー展開の面白さに身も心も一心不乱となる。自粛の賑やかしのために読み始めた花柳小説。或いは昭和初頭の性風俗を活写した作品群。一字一句の露骨さや猥雑さと云うよりも行間に漂う情感と淫欲の凄まじさに身悶えした私の夏はこうして終わったのである。

 鈴虫や蜻蛉は私に「ミントデザインズ」を連想させる。虫の柄や形がこれまでの作品に頻出したかと云うとそうではない。もそっと観念的なイメージである。コンピューター制御のジェット機なぞ遠く及ばぬ絶妙の飛行を何食わぬ顔でやってのける蜻蛉や、秋を知らせる情感のある音色を奏でる繊細な前翅を持った鈴虫など、自然界の精緻なプロダクトのイメージが「ミントデザインズ」の作風に重なるのだ。デザイナーたち(勝井北斗と八木奈央)は余り好い顔をしないだろうけれども。

 早いものでブランドは2021年7月に20周年を迎えると云う。「プロダクトとしての衣服」が設立当初からのコンセプト。今も変わりはない。モード(流行と云ってもいい)は表層的なものだから常に時代に先を越される(流行遅れになる)と云う宿命を背負っている。しかし、時代(或いは自己の)のスタイルを追求することはモードを提案することとは別次元の話である。スタイルはモードとは比較にならない確かなものだ。例えば家電製品や自動車などの工業製品に、夢のある形を与える生産デザイン。こうしたプロダクトデザインの概念を服作りに於いて実践することが彼等の目指すところなのだ。だから服には、仕立ての職人技を以て縛り付けられた重厚感とは違った「軽やかさ」があり、時には「無機質」な横顔を見せ、時には「硬質感」さえ感じさせる。巷間で云うところの「可愛い」と云う形容は、ここでは敢えて外してみたい(実際「愛らしさ」は確かにこのブランドの魅力なのだけれど)。とは云え、勿論ファッションを扱っているわけだから、速度や勢いを軽んじているわけではないが、彼等は常に時代性が反映され、且つ充分に吟味され練られたデザインに重心を置いてきた。附記すれば、ブランド名の「ミント」は「薄荷」の清涼感にも繋がるが、中古品の「ミント・コンディション」、つまり「新品同様」「かなり良い状態」と云った意味の稀少性にも言及しているに違いない。一時期1960年代を中心とした米国オリジナルのアナログ盤を蒐集していた私などには後者の方が馴染みが深い。

 私みたく爛れた自粛生活もあれば謹直な暮らしむきもある。「ミントデザインズ」の最新コレクション(2021年春夏)は自粛生活の産物である。題して「「Very Best,」。彼等による初の「ベスト盤」と云ったところか。「『デザイナーのお気に入り集』ですかね。あと、手紙の最後にBest,と付けるように、お客さんやお世話になっている方々への今までの感謝の気持ちや『最善を祈って』と云う意味も重ねています」と八木奈央は云う。またこう続ける「スピード感が大切なファッションビジネスにあって、次々と新しいものを作り出してきましたが、自粛生活中に改めて立ち止まって19年間のアーカイブを整理しました。その結果、今見ても良いもの、今改めて提案したいものなどが見えてきました。そもそも(私たちの服は)1シーズン限りで終わるのでなく、長く使用されるようなプロダクトとしての衣服を目指していたのだと、改めて気付かされました」。まさしく当節のパンデミックがなければ生まれなかったコレクションだ。

 最新作はコンピレーション盤と云えなくもないが、どうやら我々が考えるベスト盤とは様相が異なっている。寧ろ作り手自身のお気に入りと云う発想らしい。幾分天の邪鬼的な狙いがあるのか訊いてみたら、「裏はありません(笑)。ただ、所謂『最も売れた商品のベスト盤』ではないかも知れません。今再び私達デザイナーが提案したいと思った『ベスト盤』です」と返ってきた。例を挙げると、デビュー1年目に作ったジャンプスーツ。素材を度詰め天竺から梨地ジョーゼットのカットソーにアップデートしている。落ち感のある服地を使うことで上品な大人の女性に向けて提案し直している。また、「ダメに生きる」コレクション(2007年春夏)に登場したジグザグ柄は、ポリエステルシフォンにプリントすることで透け感を与えている。ポップだけれどこちらも大人っぽい表情だ。いずれも時の流れを感じさせる仕上がりである。当時の「ダメに生きる」には「器用に生きない」と云う気持ちを重ねている。こうした彼等流の気質は、そのまま服作りに投影されている。「短いスパンでは器用な方が上手くいくことが多いように思いますが、不器用だから固執して続けられるし、長期的に見て人とは違う何かが得られるように思います。器用に生きられないから開き直ってみた気持ちの表れのようなものですかね」と如何にも彼等らしいコメントである。この19年間のキャリアに於いて屈折の多いブランドではなかった。微妙な心理と時代解析力を持つ「目覚し時計」的のブランドとして向後も長続きするに違いない。(麥田俊一、ファッションジャーナリスト)