母の遺品から発見 戦地からの手紙386通 軍医の父が残した記録と愛情

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戦地での生活をスケッチとともに伝える手紙(大塚梓さん提供)

 太平洋戦争中の1944年、ニューギニアで戦死した諫早市出身の軍医、大塚格(いたる)さん(享年37歳)が、戦地から妻に送った手紙やはがき計386通が同市内で見つかった。軍医の目で見た戦地や戦友の姿、望郷の念が文字と色鉛筆のスケッチで克明に記され、戦争の非情さを今に伝える。長男の梓さん(83)=同市小豆崎町=は「父との思い出はほとんどないが、家族への愛が伝わり、戦後75年にして父の存在が随分、身近になった」と語った。

アルバムに貼られたスケッチ入りのはがきを見詰める大塚さん=諫早市内

 格さんは1907年、旧北高長田村(現・諫早市)出身。旧制県立大村中、山口高を経て、旧長崎医科大を卒業。愛媛県での勤務医時代の34年、看護師の綾子さんと結婚した。39年、陸軍軍医として中国・山西省に配属された。43年、ニューギニアへ移り、44年12月22日に戦死した。
 綾子さんは戦後、洋裁教室を営みながら、2人の息子を育て、2014年に99歳で死去。梓さんが今年初め、寝室にあった遺品の中からファイルとアルバム数冊を発見した。色あせた電報、色鉛筆で描かれたスケッチ入りの便せん、「軍事郵便」の印が押されたはがき計386通が年ごとにとじられていた。
 送られた期間は1939年11月7日~44年初め。福岡県の部隊入りを知らせる電報に始まり、山西省臨粉に配属後の40年、ほぼ毎日、便せん数枚の手紙が送られていた。部隊の移動歴をはじめ運動会や演芸大会、慰問袋の中身や衣服の配給などの日常をスケッチを添えて淡々と記述。現地住民に予防接種や流産処置をするなど軍医特有の地域貢献活動を担った様子もつづられている。
 軍の検閲による削除を免れるためか、綾子さんを「A坊」、部隊の駐屯地などの地名を「○○」と記述。数字をひらがなに置き換えて読む夫婦だけの“暗号”を通して、格さんの居場所を伝えていた跡も残っている。
 「ワタシタチノ頭ノウエデ アメリカノ バクゲキキガ 日本ノ セントウキニ ウチオトサレ パツト 火ヲ噴キマシタ」。戦況が厳しさを増し始めた44年になると、はがきにカタカナと現地での戦闘を色鉛筆で描いたスケッチのみに。それでも息子たちに宛てたはがきは、南国のバナナの絵や勉強に励むよう激励する愛情深い文面もある。

 梓さんが5歳だった42年の夏、格さんが中国から戻り約1カ月間、自宅に滞在。居間で格さんの背中に乗って遊んだ記憶だけが残る。「両親の結婚生活はわずか5年。母からの手紙を心待ちにする心境や留守宅を守る重圧をおもんばかる思いが書かれ、胸に迫るものがあった」
 梓さんは今回見つかった手紙類を市に寄贈する意向。「人の目に触れ、後世の平和のために役立ててもらうことで、父の顕彰ができる」。市美術・歴史館の大島大輔専門員は「第一級の資料。家族愛をはじめ、戦地生活の穏やかな一面もうかがえる。色鉛筆でのスケッチの技術が高い。軍医という違った立場からかかれた記録であり、詳細に調査したい」と評価した。
 格さんは、諫早市ゆかりの詩人、伊東静雄と旧制大村中の同級生。綾子さんが保管していた格さん宛ての伊東の書簡集「伊東静雄青春書簡」は97年に刊行されている。

戦闘の様子をスケッチ入りで伝えるはがき(大塚梓さん提供)