85歳で鉄人レース世界大会を完走 「スーパーアスリート」稲田弘さん

2019年10月、トライアスロンの「アイアンマン世界選手権」に出場した稲田弘さん=米ハワイ(本人提供)

 「鉄人レース」と呼ばれる過酷なスポーツ、トライアスロンの世界大会を85歳で完走したスーパーアスリートがいる。千葉県八千代市の稲田弘(いなだ・ひろむ)さん(87)は、米国ハワイでの「アイアンマン世界選手権」の最高齢完走者として、今年7月にギネス世界記録に認定された。公式認定証を手にしたのは、83歳と322日で完走した2016年と、85歳と328日で完走した2018年の2大会。近く米寿を迎える稲田さんは、来年の世界選手権に向け、己の体力に磨きをかける。(共同通信=辻圭太郎)

 ▽早朝にスタート、ゴールは深夜

 トライアスロンは水泳、自転車、ランニングを組み合わせた過酷な競技。距離によって分けられ、中でも最長の「アイアンマン」は水泳2・4マイル(約3・9キロ)、自転車112マイル(約180キロ)、ランはフルマラソンの42・195キロ。計約226キロを競う、まさに「鉄人」たちによるレースだ。

 レース本番は早朝に水泳がスタートし、約17時間後、ランニングのゴールは深夜になる。人影は少なく、真っ暗闇の中を1人走ることもある。

 「孤独だし、心は折れっぱなしですね」。特に2018年の大会では、スコールのような激しい雨が降り、水浸しの路面を走った。寒さに震え、ヘッドライトの明かりを頼りに歩みを進める。数キロごとに、ポイントを通過したことを示す「ピッ」という電子音が励みになった。

 「応援してくれている人が、ネット上で何キロを通過したかがわかる。そのたびに声援してくれている人の顔が頭に浮かび、声が聞こえてくる。それがモチベーションになる。足が全く進まなくなり、もうダメだと思うのですが、次のピッという音を聞くために走り続けます。大勢の人にサポートしていただいている。その応援に応えたいという思いだけでゴールできました」

2019年10月のアイアンマン世界選手権に出場した稲田弘さん=米ハワイ(本人提供)

 ▽最初は「犬かき」

 60歳で体力維持のため水泳を始めた。山登りの経験が豊富で、足腰には自信があったが、「最初は本当に泳げなかった。犬かきみたいな感じ。3~4メートルしか泳げなかった」と振り返る。スポーツクラブのプールでコーチから指導を受けると、めきめきと上達。水泳とランニングを組み合わせたアクアスロンの大会に出場を重ねるようになった。

 アクアスロンの大会では、自転車に乗って会場入りする選手の姿が目についた。「ヘルメットにサングラス。その姿がかっこよかった」。69歳で思い切ってロードバイクを購入。70歳の時に水泳1・5キロ、自転車40キロ、ランニング10キロの大会でトライアスロンデビューし、見事に完走した。

 「できるかどうかわからないけど、とにかくやってみようと。自転車では足が何回もつり、きついなと思った。それでも一応完走できたので、できるなと思った。やったらできるんだという気持ちになりました」

 ▽挫折

 アイアンマンには76歳で初挑戦。トライアスロンの大会出場を重ねて自信をつけていたが、ゴールまであと21キロの地点で制限時間を越えた。「甘く見ていた。軽い気持ちで出て、やっぱりノックアウトされた。初めての挫折ですね」。落ち込んでいると、大会役員から「1人で練習していているよりも、コーチについて教えてもらえるところに行ってはどうですか」と、「稲毛インターナショナルトライアスロンクラブ」(千葉市稲毛区)を紹介された。日本代表クラスの選手が所属するクラブ。「僕のトライアスロン人生はそこで変わった。オリンピックに出る人まで一緒に走るということになって。力もめちゃくちゃついた」。78歳の時、韓国・済州島の大会で初めてアイアンマンを完走した。

ギネス世界記録の公式認定証を手にした稲田弘さん=千葉市(本人提供)

 87歳の今、トレーニングを欠かす日はない。「年を取ると、体力は目に見えて落ちてくる。骨がもろくなる。筋肉が細くなる。80歳を境に、特にそれが顕著になる。そこで完走するためにはどうすればいいかと考えながら練習し、食べるのです」。早朝から3000メートル泳ぎ、その後に自転車で70キロから150キロ走る。食事は朝に野菜スープ、昼に豚肉の弁当、夜には魚、納豆、ご飯は玄米など、同じようなメニューを繰り返し食べる。「ワンパターンで、毎日、機械的に食べている」と、食べることもまさにトレーニングのようなものだ。

 ▽目標は世界記録更新

 昨年の大会は途中リタイア。今年は新型コロナウイルスのため中止となったが「次の大会は万全の態勢で臨めるように」と、貪欲に毎日を過ごす。自転車のこぎ方を工夫するなど新たな方法を試すことを止めず、「体力はもちろん落ちてきているけど、カバーする何かが生まれてきている。少なくとも後退はしていない。まだ伸びている。同じパワーでやっても、前より速く進むことがある」と、試行錯誤には終わりがない。

 次の目標はもちろん、88歳で迎える来年の世界選手権で完走し、自身の世界最年長記録を更新すること。「心の折れる回数が多くなってきている」と、年々、難しさは増しているが、「一番励まされているのは、同じクラブの仲間。現地まで来てくれる方もいる。そういう人たちが一生懸命サポートしてくれている。今まで、限界だと思ったところを超えてきている。今回もそれでいきたいと思っている」と、気持ちは前を向いている。

 「体力は落ちているけど、いろんなことを考えながらやって、ひとつ発見があると、うれしくてたまらなくなる。やめられないですね。いつまでやるんだとよく言われるけど、この楽しさがあって、ある程度やれる間はやるんじゃないかと」。そう話す稲田さんの目はいきいきと輝いている。挑戦はまだ終わらない。

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