広島で被爆 幼なじみの男女 長崎で75年ぶり再会 

©株式会社長崎新聞社

75年ぶりの再会に笑顔を見せる正木さん(右)と土田さん=長崎市桶屋町

 広島で被爆し長年、互いの消息をつかめずにいた幼なじみの男女2人が13日、もう一つの被爆地長崎で75年ぶりの再会を果たした。長崎大名誉教授の正木晴彦さん(81)=長崎市桶屋町=と、あの日、被爆しながらも、正木さんに守られ無事だった土田(旧姓・東)和美さん(80)=埼玉県草加市=。再会を喜び、75年ぶりに2人の間に咲いた笑顔の花。そして土田さんは、ようやく面と向かってお礼が言えた。「ハアちゃん。あの時はありがとう」と。

 当時、互いの家は広島市東区に今もある早稲田神社の近くに向き合うようにして建ち、「和美ちゃん」「まさきのハアちゃん」と呼び合う仲だった。
 あの日。4歳だった土田さんは母親からお使いを頼まれ、2人で自宅から1キロほど離れた店に配給の牛乳を取りに行った。帰り道、突然上空がピカッと光り、正木さんはとっさに手をつないでいた土田さんを抱え込んだ。爆心地から約2.5キロ。5メートルほど吹き飛ばされただろうか。正木さんは背中にやけどを負ったが、土田さんは無傷だった。2人で泣きながら歩き、近くのバス停で別れた。それっきり、2人は離れ離れになった。
 正木さんは1951年ごろ、父の実家がある長崎市に転居。長崎大教授、同大副学長、光永寺住職を務めた。昨年8月、県宗教者懇話会が長崎市内で営んだ原爆殉難者慰霊祭で偶然会った早稲田神社の宮司に土田さんのことを尋ね、自分の名刺を渡した。
 一方、土田さんは戦後、関東で暮らし、会社勤めなどを経て、2009年ごろから被爆体験の講話を始めた。だが、覚えているのは「まさきのハアちゃん」という男の子と一緒に歩いていたことくらい。「なぜ私は無傷だったのだろう」「ハアちゃんは今、何をしているのだろう」。そんなことを考え続けていた。運命の針が動きだしたのは今年7月。土田さんを取り上げたテレビ番組で土田さんが早稲田神社に立ち寄ったところ、宮司から「東さん」という人物を探している人がいることを知らされた。名刺を見るとハアちゃんだった。手紙と電話で連絡を取った。そして、あの日、ハアちゃんが守ってくれたおかげで自分は無事だったのだと知った。
 13日、2人は光永寺近くの中島川に架かる一覧橋で75年ぶりに再会。「元気だったか」「元気だったよ」-。笑顔で抱き合った。原爆で切り裂かれた2人の人生の軌跡が再び交わった瞬間だった。
 正木さんは「神仏のご加護と和美ちゃんの強い願いのおかげ。会うべくして会えた」と感慨深げ。土田さんも「もう会えないと諦めに近いような気持ちだった。“命の恩人”に会えて本当にうれしい」と表情をほころばせた。土田さんは75年ぶりの再会を、被爆の実相を伝える一人芝居の台本や絵本に残し、平和の尊さを次世代に伝えたいと考えている。