【幕末維新 山口れきし散歩】 No.9 「洞春寺」

▲秋の寂しさに誘われて(山口市水の上町)

 1867(慶応3)年10月24日。当時、長州藩では、下関攘夷戦、池田屋事件、禁門の変、四国艦隊下関砲撃事件、大田・絵堂の戦い、四境戦争(第二次長州征討)などにより、多くの犠牲者を出していた。

 そこで、藩主・毛利敬親は、国事に殉じた人々の英名を、毛利元就の菩提寺である洞春寺の過去帳に記入し、その忠魂義魄を、末永く弔うこととした。

 その頃、洞春寺は萩の指月城内にあったが、1869(明治2)年7月5日の豪雨により山が崩れ、土中に埋まったため、18日、現在地へと移転した。以前ここには、常栄寺が置かれていたが、1863(文久3)年7月23日に移座していた。

防長史談会山口支部長 松前了嗣

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