「大阪都」の名前を国に要求するのは正当である ~歴史・言語・法律面から明らかにする(歴史家・評論家 八幡和郎)

Photo by Ice Tea @magidetea

とりあえず府だが都を要求するのが筋

大阪都構想について、今回の住民投票で賛成が多数になったとしても、大阪市が廃止されるだけで、大阪府の名称はそのままで大阪都になれるわけでないから詐欺だとかいう人がいる。

また、天皇陛下がいないのだから「都」はおかしいという人もいる。大阪府民でも、大阪が都というのはなんかぴんとしないという人もいる。

こうした問題について、首都機能問題の専門家として、中立的な解説をしたい。

まず、第一の問題については、ただちに大阪都になるわけでないが、大阪府は法律を改正して「大阪都」になれるように要求していくという提案が大阪都構想だと理解している。だから、ただちになれるわけでないが、大阪府民がそういう要求をしていこうということだから詐欺だかいうのはおかしい。

ただ、このあたりについては、あとでも書くが、府民にも全国民にも十分な説明ができているわけでない。

東京都の都はキャピタルでなくメトロポリスが公式の英訳

第二の、皇居がないのだから都はおかしいというのは独りよがりで間違った議論だ。なぜなら、都、首都、英語のキャピタルなどという言葉は、いずれも法律用語ではないし、言語的にも定まった意味はない。

だから、大阪が都という言葉を使えないというのは、正しくない。一方、東京が「都」となった歴史的、法律的な経緯からすれば、大阪市を廃止して大阪府と一体化した場合には、常識的に考えて都を名乗るのが自然である。

明治体制の発足にあたって東京・京都・大阪を「府」にした(序列として大阪より京都が上だ)。これは、いわば三都体制だったわけだ。つまり、この三つは同格に扱うという決定があったわけである。そして、昭和18年(1943年)に東京府と東京市が一緒になって東京都になった。したがって、府と市が一体化するときは都と呼ぶことにしたわけで、京都や大阪で同じことするなら都であるのが自然だろう。

東京都の英語名はTokyo Metropolisが正式なもので、キャピタルとかではない。Metropolis というのは、アメリカではワシントンでなくニューヨークの別名みたいなものだ。

これで分かる通り、東京都自身が都とはキャピタルでなくメトロポリスを意味すると理解しているのだから、大阪府と東京市が一緒になったら、東京府と東京市が東京都となった前例に従って大阪都になるのが前例踏襲主義からの結論なのである。

大阪城 Photo by Pablo Stanic

中国語でも都は帝都を意味しない

また中国語で都という文字は君主のおられるところを意味するのかといえば、そうでもない。中国語版Wikipediaをみると、「都というのは以下のような意味である。

①首都ということで、国の中央政府が位置する都市を指します。通常、国の政治の中心地であり、国家主権の象徴的な都市です。

②あるいは、大都市ということで、メトロポリスは、通常、メトロポリタンエリアを指します。

③あるいは、都市の略語です。

④ 日本のトップクラスの行政区域を都道府県といいますが、東京については、都と言いまます。日本人はこの定義を拡張し、首都のために設立されたいくつかの外国の特別都市を「首都」として翻訳します。

⑥ 2010年の地方制度改正ののち台湾で設けられた五つの直轄市を「五都」と呼んでいる。

⑦都甲制は、明王朝と清王朝の行政部門であり、都は郡の下に、甲は市の下に設定されています。

⑧中国人の姓氏のひとつ。

中国語では以下の通り。都可以指:首都,指一個國家的中央政府所在地之城市,通常為一國的政治中樞、以及国家主权的象征城市。大都市,通常指都會區。都市的簡稱。 日本的一级行政区之一,與其他平級的行政區合稱為「都道府縣」。僅設有一個,即東京都。日語將此定義引申,將部分外國專為首都設置的特別市翻譯為「都」,例如曼谷。 中華民國(臺灣)在2010年實施行政區調整後對直轄市的俗稱。如「五都改制」。
都甲制,为明、清行政区划,县下设置“都”,都下设置“甲”。都姓,漢字文化圈的姓氏。

 

明治維新のときに京都大阪を東京と同列にしてもらったのを忘れるな

日本でも、大都市という意味であったり、県都といったりもするし、杜の都仙台という使い方もするし、福岡県には豊前国京都郡がある。

地名として使うときも、平安京はあっても平安都などない。京都についていえば、江戸時代まで京都という言い方はまれで、地名としては「京」であって、別名が「みやこ」であって、それを漢字で書くとすれば「都」が普通だというだけだ。そして、東京遷都のとも、西京という言い方もされたことはあるが、京都で落ち着いた。皇居がなくなったから変えろとかいう話は聞いたことはない。

一方、「首都」という言い方は、どうも東京の固有名詞のようにも使われている。「みやこ」が京都の別名であるのとよく似たものだ。明治以前に京都を首都と読んだのは聞いたことがない。首都という言葉を使った法律用語は少ないのだが、戦前には帝都高速度交通営団の設置を定めた法律が希な例であり、戦後は「首都兼整備法」があった。これと対を為すのは、「近畿圏整備法」だが、近畿とは都に近いことを意味するのだが、これをおかしいといった人はいない。

また、外国の首都についていうと、

①共和国のキャピタルも首都と呼んでいるのであって、君主制と結びつけて共和国は首府と呼べとはいっていない。

②それどころか、王都と政府所在地が違う場合についても、たとえば、かつてラオスで王都ルアンブラバンと政府所在地ビエンチャンが分離していたとき首都はビエンチャンといっていた。

③文部科学省は地理の教科書で首都とは政府所在地のことであると定義している。

④オランダのように政府も王宮もハーグにあるが、憲法で首都はアムステルダムだと規定している例もある。

つまり、都とか首都というのは、君主のおられるところと言う言説は、独りよがりでそういっている人がいると言うだけのことなので、歴史的、言語的、法律的、慣用的いずれの観点から言っても根拠がないということになる。

逆に、せっかく、明治維新のときに、東京、京都、大阪に「府」という名称を充てることで、ある種の副都的地位を保証してもらった成果を、意識し自己主張しないないことで放棄してしまった京都や大阪の住民は大馬鹿なのである。

京都や大阪に府にふさわしい格別の配慮をしろとか、東西日本のバランスを取れとかいう主張をしないことでどれだけ損をしてきたかはかりしれない。

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