ヒップホップやR&Bなどのブラックミュージックを専門に扱う音楽情報サイト『bmr』を所有しながら音楽・映画・ドラマ評論/編集/トークイベントなど幅広く活躍されている丸屋九兵衛さんの連載コラム「丸屋九兵衛は常に借りを返す」の第20回。
今回は日本でもNETFLIXにて配信されているドキュメンタリー『LA発オリジナルズ ~チカーノ・パワー~』ついて解説していただきました。
____
このウェブサイトに親しんでいる音楽好きの皆さんは、ロサンゼルスという地名からどんな風景を連想するだろう。
ビーチ・ボーイズが愛した海岸か。
イーグルスが描写した黄昏のホテルか。
モトリー・クルーがパーティを謳歌したサンセット・ストリップか。
あるいはスヌープ・ドギー・ドッグがジン&ジュースをシップするネイバーフッドか(細かくいうと、ロングビーチは独立した別の市ではある……ロサンゼルス郡に含まれてはいるが)。
だが、ここでロサンゼルス市の人口統計を見て見よう。2010年の調査では、380万ほどの人口のうち、白人は28.7%。
黒人/アフリカ系は9.6%。
アジア系は11.3%(そう、なんと今や我々の方がブラックより多い!)。
だが、いま挙げた3民族/人種を足しても全体の半数弱、49.6%である。
それ以外の半数、そのほとんどを占める最大グループが、ヒスパニック/ラティーノ。なんと48.5%なのだ!
ロサンゼルス郡(人口1,000万前後)に拡大しても47.5%がヒスパニック/ラティーノ。
さらに拡大して人口1,300万人以上のロサンゼルス都市圏を見てもヒスパニック/ラティーノは44.8%!
もちろん、この人口分布は21世紀の現象。ではそれ以前、1990年のロサンゼルス市はどうかと見てみると……白人37.3%、黒人14%、アジア系9.8%。それに対して、ヒスパニック/ラティーノは39.9%もいた! つまり、今に比べれば少ないが、それでも最大グループ。ロサンゼルス周辺は長年にわたってヒスパニック/ラティーノが多いエリアである、ということだ。
歴史を振り返ってみれば、カリフォルニア州は——テキサスやアリゾナやニューメキシコと並んで——もともとはメキシコ領だった。それは地名を見れば一目瞭然だ。例えば、Los Angeles、San Diego、San Jose、San Francisco、Fresno、Sacrament。以上はカリフォルニア州の6大都市を人口順に並べたものだが、全て都市名がスペイン語である。
そんなカリフォルニアだから、ヒップホップのあり方も一味違うのも道理だ。
ヒップホップ誕生の地は、もちろんニューヨーク。そのニューヨークでヒップホップというカルチャーを生み出し育てたのは、「アフリカン・アメリカン&ジャマイカン&プエルトリカン」という3民族の連合体だと言われる。
だが、それが飛び火した先のカリフォルニアでは何もかも事情が違う。だから、かの地でヒップホップを担ったのは「アフリカン・アメリカン&メキシカン&フィリピン系」という別のトライアングルだった、と。
そんなカリフォルニア、特にロサンゼルス。この地域を代表するヒップホップ・クルーの一つに、ソウル・アサシンズがいる。サイプレス・ヒルを中心に、彼らと縁が深いいくつかのグループがゆるゆると集まったコレクティヴだ。
もう一度、ニューヨークに目を戻すと。1990年前後、大胆不敵にも「メディア・アサシン」を名乗るジャーナリスト、ハリー・アレンがパブリック・エネミーの準メンバーとして活動していたことを記憶する人もいよう。「ラップはゲットーのCNNだ」というチャックDの発言で知られるPEにとって、自分たちを新種の報道メディアとして位置付けるために敷いた布陣だったと言えるかもしれない。
一方、ロサンゼルスのソウル・アサシンズは、報道よりもアート方面に突出した集団と言えようか。写真やイラストといったヴィジュアル面を担当する構成員が二人もいるのだから。
その二人を主人公に、混沌として多様なロサンゼルスの数十年を辿って見せるドキュメンタリーが『LA発オリジナルズ 〜チカーノ・パワー〜』だ。
主人公二人とは……
まずは、グラフィティからタトゥーの道に入り、今や世界で最も高名な彫り師となったミスター・カートゥーン。
そしてエステヴァン・オリオール。『L.A. Portraits』という見事な写真集で知られるフォトグラファーだ。彼はソウル・アサシンズの多様性*を体現する存在で、100%メキシコ系というわけではなく、半分イタリア系である。
それぞれのアートへの目覚め(カートゥーンの場合はカラテ道場だったとか)。ヒップホップ業界との関わり。二人の出会い。90年代から00年代にかけてのソウル・アサシンズの活動。二人ともサイプレス・ヒルのツアーに同行、エステヴァンに至ってはサイプレス・ヒルのメンバーのごとくインタビューに答えていたりもした。そして、ヒップホップ(だけではないが)を背景にしたチカーノ・アートの拡大……一応は年代順に、そういった展開を追っていく『LA発オリジナルズ〜チカーノ・パワー〜』。
だが、「2008年の経済危機で収入の75%が断たれた」とエステヴァンが回想するくだりから、物語は唐突にエンディングに向かって加速する。「タトゥーを入れてないやつなんか見当たらない」という発言が象徴するように、かつては周辺文化のレアな習慣だったタトゥーが一般化する一方、写真家にとっての大クライアントだったレコード会社や雑誌がどんどんと店をたたんできた、この十数年。
ビースティ・ボーイズ、フージーズ、エリカ・バドゥといったアーティストのツアーに同行する中で「俺はカメラを持っている唯一の男だった」と語るエステヴァンは、誰でもスマートフォンで写真を撮るようになった時代の中で逆風を浴びている。そのエステヴァンの体に刻まれたタトゥーが、カートゥーンにアーティスト客を呼び込むことになったというのに。
冷静に考えればドキュメンタリーとしての完成度には難点があるかもしれない。視点の一貫性に欠ける、というか。
でも、エミネム、スヌープ・ドッグ、ハウス・オブ・ペイン、ブリンク182らによる証言を交えた個々の逸話が面白いからいいのだ。特に興味深いのは、カートゥーンの顧客だった故コービー・ブライアント(嗚呼……)が語る、北京のホテルでの体験。「反タトゥー」の気風が強い中華人民共和国にまで届くカートゥーンの名声よ!
また、ダニー・トレホのタトゥー論や、ミシェル・ロドリゲスのチカーノ文化論が見られるのも嬉しい。もっとも、ミシェル・ロドリゲスは——めっちゃメキシカン!という我々の思い込みに反して——ドミニカ&プエルトリコ系なのだが。
【注釈】
ソウル・アサシンズの多様性*
例えば「チカーノ」と形容されることも多いサンプレス・ヒルだが、実際のメンバー構成は:
B・リアル=メキシコ系&キューバ系、LA郡育ち
セン・ドッグ=キューバ生まれ、LA郡育ち
エリック・ボボ=プエルトリコ系、ニューヨーク出身
DJ・マグス=ノルウェー系、ニューヨーク出身
………
オススメチカーノラップ3曲紹介
Kid Frost「La Raza」(1990)
デビュー・アルバム『Hispanic Causing Panic』の冒頭に収録された決定的な一発。タイトルは、直訳すると”the race”、よりニュアンスを汲むなら”the people”となろうか。同胞たるメキシカン/ヒスパニック/ラティーノに捧ぐアンセムで、人呼んで「初めてヒットしたラティーノ・ヒップホップ曲」。そして、チカーノ・ラップの礎(いしずえ)。
Lil Rob「Bringing It Back」(2008)
サンディエゴの雄、リル・ロブ……と聞いて、2008年のアルバム『1218 Part II』を代表作として持ち出す人は多くないようだが、わたしにとっては00年代屈指の傑作アルバムだ。中でもフィンガズ制作のこれは——他人種ではなく自分たちが——西海岸をレペゼンせんとする心意気に満ちていて、結果として本稿前半を代弁するような曲。
Baby Bash & Frankie J featuring C Kan, Ozomatli & Kid Frost「Lowrider」(2017)
いつもいつも共演しているように見えるが、実は2017年の『Sangria』までデュエット・アルバムなどなかったベイビー・バッシュ&フランキー・J。この曲は当初、フランキー名義のシングルとして唐突にリリースされたが、後で『Sangria』に収録された。黒人(&デンマーク人)バンドによるチカーノ・クラシックをチカーノ(&仲間たち)が集まってカバーする図が美しい。
Written By 丸屋九兵衛