エピックソニーが牽引した映像の時代、ビデコンとはビデオコンサートの略 1985年 4月27日 TM NETWORKの映像作品「TM VISION Ⅱ」がビデオコンサート(ビデコン)で公開された日

ビデコンってなんですか? エピックは「BEE」、CBSは「DAYS」

最近、よく若い人たちに「ビデコンってなんですか?」と聞かれることがある。正式名は “ビデオコンサート”。1985年頃から全国のレコード店などで開催されたレコード会社のプロモーションイベントだ。

今やMV(ミュージックビデオ)といえばといえば、音楽番組もあったり、当たり前のように販売もされているが、この頃はまだまだ普通のことではなかった。洋楽の流れからやっと日本のアーティストたちも制作を始めた… そんな頃。MVはPV(プロモーションビデオ)と呼ばれていたし、まだまだパッケージ化も進んでいなかった。そんななかでも特にPVの制作に力を入れたアーティストがTM NETWORKといわれている。彼らが所属していたレーベル、エピックソニーのビデコンは『BEE』と呼ばれ、CBSソニーのビデコンは『DAYS』と呼ばれて大人気だった。

時代を切り拓いたエピックソニー、他では真似できない数々の企画

エピックソニーは、CBSソニーから発足した新レーベルで、当時、佐野元春、渡辺美里、岡村靖幸、TM NETWORK、バービーボーイズ、松岡英明… が所属。スタッフたちも若いエネルギーに溢れていた。アーティストたちの音楽性はまったく違うはずなのに、ひとつにまとめて “エピック系” と呼ばれたりした。「どんな音楽が好き?」「エピック系!」という会話があちこちから聞こえてきたくらいレーベルの名前に力があった。それはもしかすると、他では真似できないほど盛りだくさんの販促力から生まれた現象だったのかもしれない。

月イチで開催されたビデコンに始まり、BEEの会員になると毎月マガジンと『TAMAGO』というカセットテープが送られてきた。このカセットテープの内容はラジオ番組風の作りになっていて、アーティストたちの貴重な楽屋トークやインタビューなど、さまざまな楽しい企画が詰まっていた。

そして毎週土曜には、多分ワープロで作成したであろう涙ぐましいほど手作り感いっぱいの新聞がレコード店で配布され、アーティストの話からリリース予定まで詳細な情報満載でファンに届けられた。

現代のように情報がたやすく手に入る時代ではなかったので、とにかく当時のエピック系のファンたちは「学校帰りは必ずレコード店へ」「レコード店に行けば最新の情報がつかめる」とばかりに通い続けた。レコード店の店員たちもアーティストの情報をいち早く教えてくれて、このエピックの仕掛けにレコード店も潤い、ファンも喜び、そして音楽が広がって… みんなが音楽を通してハッピーだった気がする。今思えばレコード会社の宣伝の人たちの努力と情熱は、本当にすごいし「ずいぶん私たちも乗せられていたな…」とも思う(笑)。

月イチで開催されたビデコン、中でも TM NETWORK は別格!

そんな販促の中で、メインイベントだったのがビデコンだった。ほぼ月イチで開催されるイベントだったため、お気に入りのアーティストの作品が上映されるかを素早くチェック。私が通っていたレコード店には併設されたスタジオがあって、30人くらいのキャパだった。そのため整理券は毎回争奪戦に…。

ビデコン当日は、そのスタジオにパイプ椅子が並べられ、整理券を手にしたファンが集い、みんなで大きなスクリーンを囲んで上映会がスタート。アーティストたちの新曲PVとコメント映像が流れ出す。時には映像を見ながら踊ったり大盛り上がり(笑)。

その中でもTM NETWORKは毎回、ビデコン用に『TM VISION』と題した作品を6本制作するほど別格だった。このためだけに作られたMVも存在し、ライブ映像、コメント映像、時にはコント仕立てのドラマ企画なども。ここでしか見ることのできない映像の数々にファンは釘付けで、絶対に見逃せないものだった。

また、会場ではどこよりも早く新人アーティストのMVが流され、みんな偉そうに「この子いいね♡」みたいなことも言っていた。なかでも、デビューしたての松岡英明がゲストに登場して、一緒に写真を撮ってもらったことは良い思い出で、ビデコンにはアーティストが時々ゲストとして登場。なんとビデコン初期にはブレイク前のTM NETWORKも登場したことがあるのだから今では信じられない。

他にも、CBSソニーのビデコンでは、なにぶん狭いスタジオだったため、ゲストアーティストの退場時に私の足を思いっきり踏まれてしまったことがあった。パイナップルの葉っぱのようなヘアスタイルの青年は、とても丁寧に「ごめんなさい!大丈夫ですか?」と何度も何度も謝罪してくれた。感じの良いこの青年こそ、「Maybe Blue」をリリースした頃のユニコーンの奥田民生その人だった。

…と、こんな感じで、ファンが集まって、さまざまなアーティストのMVやライブ映像を鑑賞したり、ライブさながらに踊って盛り上がったり、デビューしたばかりのアーティストのお披露目を兼ねてアーティスト本人が登場し、交流ができたり、帰りにはグッズなどのお土産ももらえる… そんなご機嫌なイベントがビデコンというものだった。もちろんそこではファン同士の交流も生まれたし、街の音楽文化の活性化にも一役買っていたようにも思う。

音楽に対する愛と情熱、大切にしたい80年代の原風景

どうだろうか、ビデコンの雰囲気が少しは理解していただけただろうか。

とてつもない努力と情熱を持ったレコード会社スタッフたち、自分たちの音楽を届けようと頑張っていたアーティストたち、情報を足で稼いでキラキラ瞳を輝かせていたファンたち… アナログな時代にひとつずつ、丁寧に、丁寧に音楽が広がっていく光景に触れられたことは、とても素晴らしい経験だった。

今や情報発信も、入手も、MVも、いつでも観られる便利な時代だが、そこにはあの頃と同じように音楽への愛があってほしいと思う。当時、音楽を届けようと尽力してくれた人たちの愛と情熱をこれからも忘れたくない。これこそが80年代の音楽に夢中になった私たちの “音楽の原風景” だから…。

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カタリベ: 村上あやの

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