長崎の黄檗文化を紹介 長崎歴文博・収蔵品展 美術の礎築いた逸然ら

長崎の黄檗文化を伝える収蔵品展=長崎市、長崎歴史文化博物館

 長崎の黄檗(おうばく)文化を紹介する収蔵品展「あれもこれも黄檗!?展」が、長崎市立山1丁目の長崎歴史文化博物館3階展示室で開かれている。江戸期における隠元禅師ら中国の僧侶の来日は、最新の中国文化を日本にもたらした。同展では特に美術に焦点を当て、中国の影響を受けた長崎の美術の源流をひもといている。23日まで。
 収蔵品など48点を展示。同市の興福寺所蔵の「諸天菩薩(しょてんぼさつ)図」は、1枚の絵に道教の神様や仏教の白衣観音などが混在して描かれている。同図のように、中国から長崎へ多くの絵が舶来し、中国の民間信仰などの風俗が日本に入って独特の文化が形成された。
 そういった多くの中国の絵を見る唐絵目利(からえめきき)という立場にあった渡辺鶴洲(かくしゅう)が岩山に多くの仙人らを緻密に描いた「群仙之図(ぐんせんのず)」は、鶴洲の中国絵画の研究成果が発揮された傑作という。
 鶴洲ら渡辺家は、幕末まで代々唐絵目利や御用絵師を務めた。その初代に当たる渡辺秀石(しゅうせき)は、「唐絵の祖」と称される逸然(いつねん)の門弟。逸然は隠元の渡来実現に中心的な役割を果たした興福寺3代住持で、晩年から絵を始めて腕を磨き、独自の画風を確立した。
 逸然のもう一人の弟子若芝(じゃくし)も優れた絵師で奇怪で独特な画風を獲得。子孫も町絵師として活躍し、写真師の上野彦馬につながるという。長岡枝里研究員は「秀石と若芝を中心に、江戸時代を通じて発展する長崎の美術の礎が築かれた」と話す。
 同展では他に、隠元をはじめとした有名な僧侶たちの姿を描いた頂相(ちんそう)や、竹の絵を得意とした黄檗僧大鵬とその弟子らの絵などを展示。長岡研究員は「見慣れないものや意外な資料などいろいろ並べている。自分のお気に入りを見つけて黄檗文化を身近に感じてほしい」と話す。

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