ガン克服、夫婦で会社辞め世界一周して見えたこと 52カ国で学んだ経験、居心地良い社会への糧に

ルワンダで、日本人が経営するゲストハウスを訪れた浜松誠さん・美穂さん(左)=浜松夫婦提供

 10カ月半で52カ国、116都市を訪ね、念願だった世界一周を達成した夫婦がいる。浜松誠さん(37)と美穂さん(37)。美穂さんはがんを克服しての旅立ちだった。勤務していた大企業をともに辞め出発。旅先では強盗などさまざまなトラブルにも遭い、最後は新型コロナ禍に巻き込まれながらもなんとか無事帰国した。世界で得たさまざまな経験を基に、日本の人々の役に立ちたいと、2人は新たな夢に向かって動きだした。(共同通信=高口朝子)

 ▽死ぬまでにやりたい五項目

 美穂さんは日本テレビで記者やキャスターとして活躍した。入社3年目、24歳で乳がんが判明。「私の人生はもう終わりだ」。恋愛や仕事を満喫する同世代をはた目に、死への恐怖と闘いながら手術や治療を乗り越え、8カ月後に復職。不安だらけだった闘病生活の中で、社会で活躍する乳がん経験者の女性と出会い、ロールモデルが身近にいる大切さを知った。

 自分自身も誰かの希望になりたいと、仕事の傍ら、若いがん患者向けの情報マガジンを発行。同じように悩む患者や家族、医療関係者らが交流できる場所を作りたいと16年にNPO法人「マギーズ東京」の施設を東京に開設し共同代表理事を務める。

 誠さんはパナソニックで海外営業や人事を担当。旧態依然の組織ではなく、年齢や部署、立場を越えた交流こそが変革を生むと、若手社員と経営層が出会える社内組織をつくった。その後、大企業の若手社員がつながるコミュニティー「ONE JAPAN(ワンジャパン)」を設立していた。

 2人は17年に結婚。美穂さんが闘病時「死ぬまでにやりたい五項目」と掲げたのが、仕事や結婚に加え、世界一周だった。

地図を見ながら旅行の計画を考える浜松誠さん=浜松夫婦提供

 ▽人生一度きり、覚悟決め2人とも退社

 知らない文化や生活を、時間をかけて見て回りたい。でも、元気になった今、仕事も楽しくて中断したくない。完治の目安とされる10年目を迎えた18年、有給休暇をかき集め数週間の新婚旅行として行こうと考えた。

 一方、誠さんは世界一周なんて考えたこともなかった。仕事は? 自分が始めた活動は? だが、次第に「なぜダメと思うのか?」と考えるように。「仕事や出産はともかく、世界一周なら2人の意志で実現できる」。大病を経験した美穂さんの「人生一度きり」の考え方にも動かされた。「もし1年後に死ぬなら、今どんな選択をするだろう?と思ったんです」

 ある日、誠さんは美穂さんに「覚悟はできた。行こう」と告げる。美穂さんは驚いた。自分自身の仕事に未練もあった。夫婦で無職になる不安もある。帰国後の居場所は…。葛藤に襲われるたび2人でとことん話し合った。覚悟を決め、そろって18年末に退社した。

 美穂さんは言う。「もし今死ぬのなら『あの時チャンスがあったのに出かけなかった』ことを一番後悔すると思った」

インド・バンガロールでベンチャー企業と共同研究を進める病院を訪れ、関係者と記念撮影する浜松誠さん(左から2人目)・美穂さん=浜松夫婦提供

 ▽病院や学校訪問、200人と向き合う

 19年6月に出発すると決めた。時間と資金を有効に使うため計画は綿密に立てた。1年は約52週。1週間に1、2カ所ずつ回れると計算。2人がそれぞれ行きたい場所に点数を付け、優先順位を決めた。新婚旅行も兼ねるからと、ボリビアのウユニ塩湖やイタリアのアマルフィなど名所旧跡も加えた。

 もちろん遊びだけが目的ではない。闘病を経験している美穂さん。「帰国したら、多くの人にとって居心地の良い場所、誰もが自分らしく輝ける社会を作りたい。そのために世界に学びたい」。訪問先の各地で実際に病院や学校を訪ね、民間企業などと連携して居心地の良い環境づくりに取り組む工夫を聞いた。現地でゲストハウス運営などに奮闘する日本人を始め約200人と話してきた。

スイスのホテルが満室で泊まれず、気温5度の中、手持ちの衣類を着込んで暖を取り駅のベンチで仮眠しようとする浜松誠さん=浜松夫婦提供

 ▽強盗もけんかもコロナも乗り越え

 トラブルもあった。ルワンダでは空港で預けた荷物が行方不明に。スイスではホテルが満室で予約が取れず、気温5度の中、駅のベンチで野宿した。カーニバル開催中のブラジル・リオデジャネイロでは強盗に遭遇。誠さんが人混みの中で羽交い締めにされ、スマートフォンを奪われた。追いかけたが誰も加勢してくれず、命さえあれば、とあきらめた。

 四六時中、一緒だったため「けんかも100回はした」(誠さん)。お互いにそっぽを向いて寝たり、怒ってホテル内で相手を追いかけたり。原因はたいてい、航空券の価格など取るに足りないことだ。美穂さんは「結局、一番向き合ったのは、一緒にいた相手だったかも」と笑う。初めての場所で多様な人や生活に触れる毎日は新たな発見や刺激にあふれ、誠さんは「これで死んでもいい、と思うぐらい一日一日が最高だった」と話す。

 だが、2月に南米に着いたころ、新型コロナ感染症は世界に拡大していた。3月、米ニューヨークに入った。外出禁止措置が取られ、街は閑散。食事調達のためホテルから数分ほど外出するだけでも身の危険を感じた。情勢や治安は日々悪化し、次の目的地だったカナダとの国境も封鎖された。結局、旅程を2カ月ほど残し、20年4月に帰国した。

オンラインで開催した友人らへの帰国報告会で、笑顔であいさつする浜松誠さん(左)と美穂さん=2020年6月14日、東京

 ▽輝ける場所を

 帰国後に2人が痛切に感じたのは、日本ならではの長所と課題だ。

 「日本人はまじめで丁寧、信頼もできる。物価も安いし何でもある素晴らしい国。ただ、寛容性と多様性に欠けている」。真剣な表情で美穂さんは指摘する。

 海外では、高齢者や障害を抱える人も外出を積極的に楽しんでいた。日本でも、それぞれの課題や事情を抱えていても、幸せを感じながらもっと自由に生きられるはずだと思う。

 「小さな枠にきれいにまとまらなくてもいい。自分と違うものを受け入れる力がもっと育ってほしい」(美穂さん)

 世界で感じた素晴らしさと、矛盾や疑問。2人は、持ち帰った学びを貧困や不平等など社会課題の解決に生かす仕組みを作りたいと考えている。幅広い専門家と連携し、人材育成やコンサルティングを通じて居心地の良い社会が実現できないかと模索中だ。

ペリト・モレノ氷河(アルゼンチン)を前に記念撮影する浜松誠さん(左)と美穂さん=浜松夫婦提供

 世界各地の雄大な自然を見て、日本も負けていないと感じた。日本製品への変わらぬ信頼も目の当たりにし、見せ方次第でもっと世界で競争できると信じている。

 「皆、いろんな事情を抱えて生きている。それでも個人が輝き、生きてて良かったと思える場所を作りたい」(美穂さん)。

 マレーシア、ミャンマー、ギリシャにモロッコ、イタリア、イスラエル、ナミビア、タンザニア、メキシコ―。訪問した国々での経験を糧に、2人は次の夢へと動きだした。

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